カトゥーシャ・ニアヌ

カトゥーシャ・ニアヌ(Katoucha Niane 本名:カディディアトゥ・ニアヌ 1960年10月23日生)
 [ギニア・モデル]



 コナクリ出身。9歳のときアフリカの通過儀礼である女性性器切除を経験。カトゥーシャ10歳の時、コナクリ大学の講師であった父が独裁者であったアフメド・セク・トゥーレ大統領から睨まれ、身辺に危険が迫った。両親は先に子どもたちだけでも助けようと亡命計画を練った。カトゥーシャは荷物の袋に隠れて単身マリへ亡命し、父方の親戚の家に身を寄せた。しかしながらそこは大家族がひしめき合って暮らしているところであり、親戚のおじさんに毎日のように乱暴されたが、カトゥーシャは黙って耐えた。彼女がダカールでようやく家族と再会したのは12歳になってからのことだった。

 17歳の時に娘を身ごもる。娘の生誕後8日以内に娘が信仰告白してムスリマになれるようにと、娘の父親の代理人により、病院の外で義務的に結婚させられそうになった。そこでカトゥーシャはパリへ逃げ去った。

 その後セネガルからフランスに渡った彼女はティエリ・ミュグレール、パコ・ラバンヌ、クリスチャン・ラクロワ、アズッディーン・アライヤなどのモデルとしてファッションショーに出た。そしてトップモデルとして成功し、イヴ・サン=ローランのミューズにまで昇りつめた。

 ファッション界の第一線を退いた後、彼女は「性器切除反対のために闘うカトゥーシャ(KPLCE)」を立ち上げファッションビジネスと連動させたイベントを開催するなど、精力的な活動を展開。2007年、カトゥーシャの経験を書いた自伝がフランスで出版され大きな反響を呼んだ。

 その後の活躍に多くの期待が寄せられていた矢先、2008年2月1日の夜、パーティーに参加した後行方不明になる。約1ヶ月後の2月28日、居住船から3キロ下ったパリのセーヌ川で水死体で発見された。

 警察は司法解剖の結果、死因は外傷の形跡はなく短時間で水没したことによる水死で事故死と結論づけたが家族は納得せず、殺人の可能性があるとして検死結果の開示を求めた。2008年3月14日に、コナクリにて埋葬された。

 2008年2月1日死去(享年47)