クリスティーン・チュバック

クリスティーン・チュバック(Christine Chubbuck 1944年8月24日生)
 [アメリカ・ニュースキャスター]



 オハイオ州ハドソン生まれ。マイアミ大学に1年通い、演劇芸術を専攻した。その後ビバリーのエンディコット大学に通った。1966年から1967年までクリーブランドのテレビ局WVIZに勤務し、1967年にはニューヨーク大学のサマー・ワークショップに通った。それからサラソタの病院でコンピュータのオペレーターとして4年を、ケーブルテレビ会社で2年を過ごした。その後、フロリダの地方テレビ局WXLT-TVのオーナー、ボブ・ネルソンにレポーターとして雇われ、その後ニュース番組「サンコースト・ダイジェスト」を任されるようになった。

 チュバックは家族に対して、自分が鬱病を抱え、自殺癖を持っていることを詳細に語ったが、自分の確固たる決意について語ることはなかった。1970年にはオーバードースによる自殺を図り、頻繁にそのことについて言及していた。精神科医の診察も受けていた。チュバックの母親は彼女が解雇されるのを恐れて彼女の自殺癖をテレビ局の経営陣には伝えていなかった。そしてテレビ史上、最大級の放送事故が起こることとなる。

 1974年7月15日朝、いつものように担当するニュース番組「サンコースト・ダイジェスト」で全国ニュースを伝えていた。ところがその時、映像のリールが故障して放送予定だったレストラン発砲事件のニュース映像が流れなかった。スタッフは慌てたが、彼女は、それを受け流すようにして、視聴者に対して語りかけた。「チャンネル40にはポリシーがあります。それは視聴者の方々に、最新の…」と台本を離すと、彼女は微笑みながらカメラを見据えてこう続けた。「血液と内臓を、ありのままの色彩でお届けするというポリシーです。」そして彼女は机の下に右手を伸ばし、「本邦初公開となりますのは…」と隠していた38口径のリボルバーを取り出し、「自殺です!」と言い放った。

 その刹那、彼女は右耳の後ろに銃口を押し当て、引き金を引いた。大きな銃声が響き渡り、投げ出されるようにして机の上に突っ伏した彼女は、そのままずるずると滑り、床へと落ちた。引きつったように痙攣し、鼻と口からも激しく出血していた。技術ディレクターが機転をきかせ画面を暗くさせた。後年、カメラを操作していたジーン・リードは最初このことを手の込んだいたずらだと思っていたが、チュバックの体が痙攣するのを見て本当のことだと気付いたと回想している。チュバックはすぐにサラソタ記念病院へと運ばれたが、14時間後に死亡。生放送は中断され、映画番組で対処した。チュバックは火葬され、葬儀はビーチで行われ、メキシコ湾に散骨された。この葬儀には約120人が参列した。

 この公開自殺は綿密に計画されていた。チュバックは事件の3週間前に自殺問題を扱うことをディレクターに進言し、警察関係者を取材。その際に「38口径のリボルバーを使い、こめかみよりも後頭部を撃つのが効率的」との言質を引き出していた。1週間前には夜のニュース編集者であったロブ・スミスに、自分は銃を買っており、放送中に自殺するということを冗談として語っていた。また、友人宛に託した遺書が発見され、「今朝、アナウンサーのクリスティーン・チュバックが生放送中に拳銃自殺を図りました。彼女はサラソタ記念病院へと運ばれ、意識不明の重体です」という当日の自殺を記すニュース原稿のようなシナリオも見つかっている。

 視聴者は1万人程度、視聴者の中には警察に通報する者、テレビ局にやらせかどうか問い合わせる者もいたという。チュバックの家族は彼女の自殺を収めた2インチVTRの公開を防ぐためにWXLT-TVに対して差止請求を行った。サラソタの警察はテープを証拠として押収し、後にチュバックの家族に彼女の遺品とともに返却した。当時はビデオ普及以前でビデオ録画は極めてまれであり、このテープはおそらく事件の唯一の記録映像となっている。また、彼女の家族はこのテープを破棄したともいわれているが、真相は不明である。

 1974年7月15日死去(享年29)