加藤道夫

加藤道夫(かとうみちお 1918年10月17日生)
 [劇作家]



 福岡県出身。慶應義塾大学英吉利文学科在学中に「新演劇研究会」を結成、芥川比呂志らと演劇活動に従事。同大学院在籍中に処女戯曲「なよたけ」を執筆した後、陸軍省通訳官としてニューギニアに赴任。第二次世界大戦後は「新演劇研究会」のメンバーであった女優の加藤治子と結婚、母校と明治大学講師を務めながら、独自な文体による戯曲を発表したほか、評論、演出、翻訳にも活躍した。

 妻の治子と芥川宛ての遺書には、「僕は幼にして罪を犯され、その記憶が、いまに忌しく、地獄の苦しみ…」という言葉も書かれてあり、遠因には、幼時期に誰かから悪戯(わいせつ行為)をされた体験があったことがうかがわれた。

 1953年12月22日、強度の神経衰弱から自殺を遂げた。加藤は自宅書斎で、本棚の上段のパイプに寝巻の紐を括り付け、少し腰が床から浮いたような状態で縊死していた。同居していた姪のによると、就寝前に加藤の部屋の前を通った時に、扉の下からオレンジ色の光が洩れていて静かだったという。その夜更け、帰宅した妻の治子が加藤の死を発見した。

 1953年12月22日死去(享年35)