クリフォード・ブラウン

クリフォード・ブラウン(Clifford Brown 1930年10月30日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]



 デラウェア州ウィルミントン生まれ。父が持っていたトランペットに興味を示し、12歳の頃から吹き始める。1948年、デラウェア州立大数学専攻入学、1949年、メリーランド州立大音楽科専攻転校。学生バンドなどで演奏活動をしていた頃、ディジー・ガレスピーに出会い、本格的にジャズ・ミュージシャンを目指すようになる。フィラデルフィアを拠点に活動していた頃、チャーリー・パーカーと共演。チャーリーはクリフォードの演奏に感銘を受け、アート・ブレイキーにクリフォードを推薦した。

 1953年、タッド・ダメロン楽団に参加。同年、J・J・ジョンソンと共演。同年、アート・ブレイキーのサポートを得て、初のリーダー・セッションを行う。同年、ライオネル・ハンプトン楽団のヨーロッパ・ツアーに参加。1954年2月21日、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で、アート・ブレイキーを中心に行われた歴史的セッションに参加。この模様は『バードランドの夜』というタイトルでレコード化された。同年、マックス・ローチとともにクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット結成。1955年11月には、ソニー・ロリンズがメンバーとして加わる。

 1956年6月26日、リッチーパウエル(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にリッチーと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故死。事故当夜は雨が降っており、ナンシーを含めて3人全員がこの事故で亡くなった。

 1956年6月26日死去(享年25)