伊藤一長

伊藤一長(いとういっちょう 本名:伊藤一長(かずなが) 1945年8月23日生)
 [政治家]



 山口県生まれ。長崎県立長崎西高等学校のころより長崎市長を目指し、早稲田大学政治経済学部卒業後は長崎市開発公社に就職。

 長崎市議、県議を経て、1995年の長崎市長選挙で自民党の推薦を受け、新人ながらも前職の本島等を破り、長崎市長に初当選。2003年の長崎市長選では各業界や自民党・公明党からの支援を受けつつも無所属で出馬し、自由党支持や共産党推薦のほれ新人4人を大差で破り、3選を果たした。

 2007年4月15日、任期満了に伴う市長選挙に自民党・公明党・民主党・連合や各種産業団体などの支援を受けて4選を目指し無所属での出馬を表明するものの、2日後の17日19時52分頃、遊説先から長崎市大黒町の選挙事務所に戻ったところを山口組系水心会会長代行の男(59)に背後から銃撃された。

 銃撃後すぐに長崎大学医学部・歯学部附属病院に搬送されたが、心臓の右心室を貫かれ、すでに心肺停止の状態に陥っており、約4時間に及ぶ緊急手術を受けたが、翌4月18日2時28分、胸部大動脈損傷による大量出血により急逝した。

 男は現場で直ちに通行人に取り押さえられ、駆けつけた警察に殺人未遂の現行犯で逮捕された。動機は裁判にて「融資や車の事故をめぐる市の対応に対する理不尽な怨恨」とされた。後日、当時の目撃証言により送迎を行った者と報道機関へ送った書面の代筆を行った者が逮捕されたが、不起訴処分となっており、事件は男が単独で行ったものとみられているが、動機には不明な点が残っている。

 長崎地検は、男を殺人罪などで長崎地裁に起訴し、同地裁は2008年5月26日に死刑判決を言い渡した。男は刑を受け入れると言明したものの、弁護側が判決を不服として控訴した。2009年9月29日に福岡高裁で無期懲役が言い渡され、2012年1月18日に最高裁判所で検察と被告双方の上告を棄却する決定が下され、無期懲役が確定した。2020年1月23日、男は原発不明癌の為、大阪医療刑務所で死去した。

 2007年4月18日死去(享年61)