サイレンススズカはアイルトン・セナの生まれ変わり


 サイレンススズカアイルトン・セナの生まれ変わり、またはセナが乗り移っていたという都市伝説がある。実際スズカとセナには共通点が多く、実際セナが亡くなった日にスズカが産まれていることから、今でもF1や競馬ファンの間で語られ生まれかわりであると信じる者もいる。



【スズカと鈴鹿】
 サイレンス「スズカ」とセナにとって数々の名勝負を繰り広げた思い出の地「鈴鹿」サーキット。

【勝負服】
 武豊ジョッキーが着る勝負服の色は「緑」と「黄」。まさにブラジルのイメージカラー。

【セナが死亡した日にスズカが誕生】
 1994年5月1日。※実際はスズカの誕生が先である。

【レース中の事故が原因で死亡】
 スズカは1998年11月1日に東京競馬場で開催された天皇賞で、圧倒的な1番人気に支持されたが、3コーナーの辺りを過ぎたところで突然の失速。左前脚手根骨粉砕骨折発症により、競走を中止し、安楽死の処置がとられた。一方、セナは1994年5月1日にイタリアのイモラ・サーキットで開催されたサンマリノグランプリで、7周目に超高速・左コーナー「タンブレロ」において、時速220kmでコース右脇のコンクリートウォールに激突、脳死状態に陥り、事故発生から約4時間後に死亡した。

【レーススタイルが似ている】
 セナはポールポジションからいち早く飛び出し、後続に差をつけてそのまま先頭をキープしたまま勝利することが多かった。スズカもレースの序盤で圧倒的な差をつけそのままセフティーリードを保ったまま勝利する逃げパターンだった。

 ちなみに、一部のファンがサイレンススズカに対して使うニックネーム「音速の貴公子」はまさしくセナの愛称であり、セナの存在を意識したとも言える。