桜塚やっくん

桜塚やっくん(さくらづかやっくん 本名:斎藤恭央 1976年9月24日生)
 [お笑いタレント/声優]



 神奈川県出身。日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。以前はジャニーズ事務所に所属していた。1999年、お笑いコンビ「あばれヌンチャク」結成。当時は本名で活動しつつも「やっくん」の愛称で呼ばれていた。2002年にテレビアニメ『満月をさがして』のオーディションを受け合格。キラ・タクトの声を担当し本名名義で出演し、知名度を上げた。

 2005年、あばれヌンチャク解散後、お笑いネタ番組『エンタの神様』にセーラー服姿で竹刀を持った「スケバン恐子」のキャラクターで出演したのをきっかけに芸名「桜塚やっくん」に変更し一世を風靡した。このキャラクターはコンビ解散後、ピン芸人としてのネタを模索していたところ、『エンタの神様』が女装をしてネタを行う芸人を求めているという噂があった為、『スケバン刑事』からヒントを得て作られた。

 2006年7月、歌手として、自身が作詞した「ゲキマジムカツク」でCDデビュー。同年10月には2ndシングル「1000%SOざくね?」を発売。2008年からは「植田浩望」名義で俳優活動も開始した。2010年、TBS系音楽番組『Music Birth』の中で結成された女装バンド「美女♂men Vlossom(2013年2月に「美女♂menZ」に変更)」でボーカルを担当することを発表。同年10月16日、所属事務所トップコートを辞め、自ら個人事務所を設立した。

 2011年3月24日、酒に酔った女子大生を乱暴したなどとして、準強姦容疑で書類送検されたと報じられた。しかし、本人はブログにて「事実無根の内容が一部報道されている。今後一切僕が逮捕される事や起訴されることもありません!」と述べたほか、弁護士を通じて警視庁の捜査関係者あてに名誉毀損を訴える法的措置を取る意向を明らかにしていた。この書類送検がきっかけで「仕事のスケジュールがバタバタとキャンセルに」なったという。

 2013年10月5日、山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線、伊佐パーキングエリア付近で、自らがハンドルを握ってワンボックスカーを運転していた際に中央分離帯に衝突する単独事故を起こし、車外の路上に出たところを後続車にはねられた。その後病院に搬送されたが、同日18時16分、心臓破裂により死亡が確認された。

 当時は、同月6日に熊本県荒尾市のあらおシティモールで開催される予定だった、美女♂menZのイベント出演のために移動中で、雨と霧のため視界が悪く、事故現場は「魔のカーブ」と呼ばれる事故多発地帯であった。この時車に乗っていたのは美女♂menZのメンバーやマネージャーら計5人で、単独事故を起こした際にマネージャーが携帯電話で通話しながらドアを開けようとした瞬間、走って来たトラックにはねられて、体が車内に飛び込み即死した。錯乱状態に陥ったメンバーの1人が後続車に合図しようと車外に出たが、心配した桜塚が交代して後方に立った瞬間、走ってきた乗用車にはねられたという。結局、桜塚とマネージャーの2人が死亡し、バンドメンバーの2人が軽傷を負った。ワンボックスカーはメンバー移動のために桜塚自らが中古で購入した車両で、『美女♂menZ』のラッピングがほどこされていた。桜塚自身は新幹線移動やホテル宿泊をする余裕があったが、バンドを優先する意味で、桜塚自ら、車中泊やハンドルを握ることもあった。

 あまりにも突然だった桜塚の死を受け、芸人仲間や芸能人たちが次々と自身のブログで追悼コメントを出し無念の想いを綴った。また、本人によるブログ『桜塚やっくんの見ないとがっかりだよ!!』は、10月7日にアメブロランキングの1位となり、コメント欄にはファンからのお悔やみの書き込みが殺到した。

 『エンタの神様』で共演して以来親しい間柄だった芋洗坂係長は、インタビューで「とても、いてもたってもいられず…親友の顔をどうしても、もう一度見たくて…お通夜の前にご無理を言って、特別に弔問させて頂きました」「やっくんは…事故にあったとは思えない程、本当に綺麗な顔で、声をかけたら起きるんじゃないか…というぐらい穏やかな寝顔の様でした」と語り、「年末に一緒にディナーショーをやる予定」だったことも明かした。通夜・告別式は家族が「静かに見送りたい」として近親者のみで営まれた。戒名は「禅徳院恭覚智聡居士」。

 10月11日、美女♂menZは、悲しみを乗り越え、残りのメンバー3人でツアーを継続することを発表した。

 2013年10月5日死去(享年37)