フレディ・マーキュリー

フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury 本名:ファルーク・バルサラ 1946年9月5日生)
 [イギリス・ミュージシャン]



 ロックバンド「クイーン」のボーカリスト。1946年9月5日生まれ。卓越した歌唱力と観客を惹き付ける独特のステージ・パフォーマンスは唯一無二で、ロカビリーからオペラ、バレエ、中東音楽まで、幅広い要素を取り入れた作詞・作曲能力も高く評価されている。


 5歳の頃からピアノを習っていた。イギリス政府のために働く父の仕事上の理由でインドに移り住み、ボンベイ郊外の全寮制の高等学校に通い育った。その頃から数々のロックバンドを経験し、ピアノとヴォーカルを担当。

 クイーンに参加の当初からしばらくは、同じくメンバーのロジャー・テイラーと、ケンジントン・マーケットで古着屋を経営。 クイーンのデビュー直前、ラリー・ルレックスという名義でソロシングルを発売している。

 1980年代半ば、この頃からメディアにはHIVに感染しているのではないか、という憶測が頻繁に飛び交うようになったが、後述の永眠直前まで公式には否定し続けていた。頬にも髭を伸ばすようになったが、これは合併症のひとつであるカポジ肉腫を隠すためともいわれている。


 1991年6月、クイーンとの仕事を終えた後、フレディはケンジントンの自宅に戻った。死期が近づくにつれ、フレディの視力は衰え始めた。容体は急速に悪化し、ついにはベッドから出られなくなった。やがてフレディは薬の服用ほとんどを止め、痛みを抑えるため痛み止めだけを服用し、死と向き合う決断を自ら下した。


 1991年11月23日、かねてより噂になっていたHIV感染を公表。翌24日夜、フレディはケンジントンの自宅で死去した。死因はHIV感染合併症のひとつであるニューモシスチス肺炎であった。45歳という若さだった。


 フレディの遺言により、遺体は遺族により火葬され散骨された。その場所は明らかにされていないが、一説によれば、彼の自宅の庭に埋められているともされている。


 死後、生前に残した遺言にしたがってクイーンでもっとも売れた曲である「ボヘミアン・ラプソディ」の印税がエイズ基金「テレンス・ヒギンズ・トラスト」に寄付された。また、それを受けて再発売されたシングルCDはイギリス史上初の同一曲2度の1位を獲得した。

 2018年10月24日より、フレディを中心としたクイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が、世界各国で順次公開された。


 1991年11月24日死去(享年45)