中城ふみ子

中城ふみ子(なかじょうふみこ 本名:野江富美子 1922年11月15日生)
 [歌人]



 北海道出身。魚屋を営んでいた野江豊作・きくゑ夫妻の長女として生まれた。北海道庁立帯広高等女学校を経て、東京家政学院卒業。在学中に池田亀鑑の指導を受けて短歌を始める。1942年、20歳のときに北海道大学工学部卒で国鉄に勤務していた男性と結婚。3男1女を出産する。しかしふみ子の結婚生活は幸福なものではなく、夫は汚職に関与して高松市の鉄道管理局に転じたほか、女性問題も発生するなど、生活は乱れたものになっていった。その傍らで学生時代以来の短歌を再開し、小田観螢主宰の歌誌「新墾」への投稿を始める。その後子供たちを抱えて帯広へ帰郷し、1951年に夫と協議離婚。東京での就職を志すが、果たせず帰郷する。帰郷間もない1952年、乳がんと診断され、左乳房の切除手術を受けた。だがすぐに再発転移していることがわかり、妹の嫁ぎ先である小樽に身を寄せて札幌医科大学附属病院で放射線治療を始めた。1953年、『潮音』同人となる。

 1954年4月、第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作「冬の花火―ある乳癌患者のうた」が編集者中井英夫に見出され、特選となる。中井の考えにより雑誌発表時は「乳房喪失」と改題され、50首中42首の掲載となった。同年7月1日、川端康成の序文を付けた第一歌集『乳房喪失』を刊行。ふみ子自身はこのタイトルに反発していたが、中井の強い主張に最終的には折れた。『乳房喪失』は歌集としては異例のベストセラーとなる。同年7月29日、病状が悪化し中井英夫が北海道へ飛び見舞う。このときふみ子は中井を待たせて化粧してから面会している。しかし中井が帰京した翌々日の8月3日、ふみ子は転移した肺癌による気道閉塞のため31歳の若さで死去した。

 中城ふみ子の作品の主要テーマは恋愛と闘病である。大胆な身体描写、性愛の表現は、当時の歌壇では賛否両論であった。評者の道徳観を押し付けるような作品批判を受ける一方、五島美代子、葛原妙子、長沢美津ら、『女人短歌』(女性歌人による超結社集団)のメンバーからは擁護された。近年は我が子をテーマにした歌も注目されている。また、表現技法の点では、葛原や森岡貞香からの影響が指摘されている。寺山修司はふみ子の短歌に衝撃を受けて自らも短歌を詠み始め、ふみ子受賞の次回度に短歌研究50首詠を受賞した。ふみ子の生前に病室を訪れて取材した時事新報記者・若月彰によって、1955年に評伝『乳房よ永遠なれ』が書かれ、10万部が売れるベストセラーになった。同年中に、この評伝を原作とする映画『乳房よ永遠なれ』(日活、田中絹代監督、月丘夢路、葉山良二主演)が制作、公開され、ふみ子の名は広く知られることになった。川端康成は小説『眠れる美女』にふみ子の歌を登場させ、渡辺淳一はふみ子をモデルにした小説『冬の花火』を書いている。

 1954年8月3日死去(享年31)