荻原平吉

荻原平吉(おぎわらへいきち 1923年生)
 [政治家/実業家]



 栃木県佐野市内でガソリンスタンドと米穀店を経営、タクシー会社も経営し、多角的に事業を展開。1961年から佐野市議会議員を3期務め、1975年には栃木県議会議員に当選した。県議当選後は販売先の拡張に務めていたが、3億円の借金を肩代わりしたことなどがきっかけとなり資金繰りが悪化、1978年11月まで4回にわたって計1200万円の不渡り手形を出して会社が倒産した。負債額は金融機関などに約7億円に上っていた。

 1978年11月16日、荻原一家9人は佐野市の自宅を出た後、神奈川県横浜市のレンタカー会社からマイクロバスを借り、静岡県焼津市のホテルにチェックイン。翌17日に書留速達便で「事業に失敗したので9人で死ぬ」という内容の遺書と、現金10万円を同封した手紙を静岡県吉田町の町長宛に出した。

 11月18日、家出を知った荻原の長女の夫が警察に「妻が子供を連れて家を出た。実父の倒産を苦にしていたので心中の恐れがある」と捜索願いを出したが、静岡県吉田町大井川の中州に停めたマイクロバス内に子供2人を含む女性7人、近くの河原で男性2人の計9人が死亡しているのを、遺書が送られてきたため捜索していた吉田町役場職員が発見した。

 マイクロバス内の女性7人はいずれも睡眠薬を飲んだうえ、首を絞められた跡があった。マイクロバスから離れた河原で、男性2人の黒焦げになった遺体が横たわっていた。揃えてあった靴の中に2人の名刺と時間を止めた腕時計が2個入っており、針が指した4時45分と56分が心中を図った時刻と推定された。そして、我が身を焼いた炎で燃やしたと思われる数々の借金の証文や手形の燃えかすも周囲に散乱していた。

 マイクロバスのドアは外からカギをかけ、開かないようになっていたことから、警察は男性2人が睡眠薬で寝込んでいた7人の首を絞めて殺した後、河原でガソリンをかぶって火をつけ焼身自殺したものと断定した。亡くなったのは、荻原平吉(55)とその妻(51)、長男夫婦(31、30)と孫娘(6)、さらに長女(29)と孫娘(1)、三女(22)、四女(21)の計9人にも及んだ。長男の嫁と長女がそれぞれ身ごもっていた事実も判明した。

 荻原から吉田町長宛に送られた遺書の内容
「前略、突然に大変なご迷惑をおかけしました。私たち9人の者は3年間に多額の保証債務代位弁済のため家族一同血みどろの戦いをして参りましたが力及ばずこのようなことになり申しわけありません。娘3人は生きていってくれるよう説得しましたが、私の立場を理解してくれていたのか、一緒に連れていってくれとのことで連れて参りました。何も知らない孫たちがふびんですがやむを得ません。同封の10万円は少々ですが、私たちの処理費の一部にしてください」

 睡眠薬で眠った妻と娘を手にかけた荻原と長男は、子供に対する殺人容疑と、女性に対する自殺幇助容疑で被疑者死亡のまま書類送検された。

 1978年11月18日死去(享年55)