フリオ・ソーサ

フリオ・ソーサ(Julio Sosa 本名:フリオ・マリア=ソーサ・ベントゥリニ 1926年2月2日生)
 [ウルグアイ・歌手]



 ウルグアイのビジャ・エリサにて生まれる。小学生の頃からすでに歌の才能を見せ、10歳で歌手デビューを果たす。貧しい青少年時代をすごす。1945年、ウルグアイのカルロス・ジラルドニ楽団に入団したのをきっかけに、タンゴ歌手の人生を歩む。1949年6月より、アルゼンチンのブエノスアイレスに移り、アルマンド・ポンティエールの楽団での歌唱が好評となり、有名となる。1953年ごろ、声帯が深刻な状態となるものの、手術を受けて、タンゴ歌手に復帰する。まだアルゼンチン市民に白黒テレビが普及して間もないころのテレビ番組に頻繁に出演して、知名度を上げた。

 スピード狂だったフリオ・ソーサは人気絶頂の1964年11月25日、スポーツカーで事故を起こし、翌26日にアンチョレナ病院で息を引き取った。彼は15歳での初婚を含め、生涯通じて3度の結婚をしており、2人目の妻との間に娘をもうけていた。また、歌手である他に文筆家としての才能もみせ、新聞にコラムを書いていた。

 1964年11月26日死去(享年38)