ゲルノ・ラインシュタドラー

ゲルノ・ラインシュタドラー(Gernot Reinstadler 1970年8月24日生)
 [オーストリア・アルペンスキー選手]



 1988年、オーストリア国内選手権のコンビで優勝、大回転と回転で2位に入った期待のホープだった。ワールドカップにはこのシーズンが初参戦だった。

 1991年1月18日にスイスで行なわれたクオリフィケイション・ダウンヒル(滑降予選レース)で、コース最終ゲート近くのジャンプでコントロールを失い安全ネットに激突。すぐヘリコプターで近くのインターラーケン病院に運ばれ6時間以上にわたる手術を受けたが、結局19日午前1時に出血多量により死亡した。

 ラインシュタドラーは激突の際、片方のスキー板がネットに引っかかり、高速滑走の高いGのため、股が大きく裂けた。骨盤破損、内臓損傷など腰部を中心に重傷を負い、多量の出血に見舞われた。裂けた股から腸がはみ出て周りの雪が、明らかに真っ赤に染まっていた。

 クオリフィケイション・ダウンヒルはカナダのアルペンスキー選手ケン・リードの提唱によりこのシーズンにテストケースとして採用になった方式で、本戦出場者を30人に絞るという予選レース。当落ぎりぎりにいる選手たちにとってはかなりの無理を強いられることになる。このシステムは結局この事故を契機に不採用になった。

 1991年1月19日死去(享年20)