梅村蓉子

梅村蓉子(うめむらようこ 本名:鈴木花子 1903年10月21日生)
 [女優]



 東京の瀬戸物問屋の娘として生まれる。旧制小学校に上がる1910年には、本郷座で新派の初舞台を踏む。有楽座のお伽芝居の舞台にも立つ。

 1922年、松竹蒲田撮影所に入社し、翌1923年公開、島津保次郎監督の『散りにし花』で映画界にデビューする。同年9月1日の関東大震災によって同撮影所は稼動を停止し、京都の松竹下加茂撮影所に異動になる。翌1924年早々には蒲田撮影所に戻るが、島津保次郎監督の『新己が罪』に主演したのを最後に、1925年、ふたたび京都に移り、松竹キネマを離れて日活京都撮影所に移籍した。溝口健二監督の『紙人形春の囁き』が出世作であり、阿部豊監督の『足にさはつた女』(1926年)、溝口健二監督の『唐人お吉』(1930年)等に主演し人気を得た。

 1935年、日活で争議が起きてからはフリーランスとなる。同年、永田雅一が立ち上げた第一映画の設立に参加、溝口健二監督の『マリヤのお雪』、『虞美人草』、『祇園の姉妹』、『浪華悲歌』等に出演した。翌1936年、永田が新興キネマに入社するに至り、同社は解散、梅村も新興に移籍した。1942年、戦時統制により同社が合併し、大映を形成すると、大映京都撮影所に所属した。

 1944年、溝口健二監督の『団十郎三代』の丹波山中でのロケーション撮影に参加したところ、急性盲腸炎から腹膜炎を併発、同年3月8日、死去した。40歳だった。

 1944年3月8日死去(享年40)