ベニート・ムッソリーニ

ベニート・アミールカレ・アンドレーア・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini 1883年7月29日生)
 [イタリア・政治家]



 鍛冶屋の父と教員の母の間に生まれ、師範学校を卒業して暫くは教員をしていたがやがてスイスに移住して職を転々とし、その間に政治思想を深めて行き、労働運動に参加。やがて帰国して徴兵から復員後、教師に復職し並行して政治機関紙の活動から政治活動を始めていく。

 第一次世界大戦を機に愛国主義に傾倒し、第一次世界大戦での中立を唱えるイタリア社会党の方針に反して参戦を主張した為に党から除名された後、社会主義とナショナリズムを混ぜ合わせた独自の思想「ファシズム」を提唱。ファシズムを奉じるファシスト党を率い、1922年のローマ進軍で政権を奪取。1943年までイタリア王国首相・国家統領(ドゥーチェ)として同国を独裁的に支配した。

 だが、世界恐慌の影響で失業者が急増し、財政的にも行き詰まったため、ムッソリーニは事態打開のため軍事力による対外進出を試みる。ナチス・ドイツおよび大日本帝国と日独伊三国同盟を結び、枢軸国として第二次世界大戦に参戦したが、敗色濃厚となった1943年に解任・逮捕される。のちドイツの後ろ盾の元に亡命政権イタリア社会共和国(RSI)をイタリア北部に設けたが1945年に敗北に伴い再び失脚する。

 1945年4月25日、連合軍に援助されたパルチザンに拘束され、法的裏付けを持たない略式裁判によりメッツェグラ市で銃殺された。生存説を避けるために同行していた愛人のクラーラ・ペタッチの遺体とともにミラノ市のロレート広場に吊るされた後、無記名の墓に埋葬された。ムッソリーニは死刑の通知をするレジスタンスに対し、「心臓を撃て!」と叫んだとされる。

 1945年4月28日死去(享年61)