ニック・アダムス

ニック・アダムス(Nick Adams 本名:ニコラス・アロイシス・アダムショック 1931年7月10日生)
 [アメリカ・俳優]



 ペンシルベニア州生まれ。父親はウクライナ出身の炭鉱夫で、生活は貧しく、炭鉱宿舎で育った。1936年、5歳の折に、家族とともにニュージャージー州へ移る。1948年、17歳の折にニューヨークを訪れた際に映画関係者に出会い、舞台で1年間演技の勉強をする。1949年、貧しさから逃れたいと、ヒッチハイクをしてロサンゼルスに出て、映画界にアプローチを重ねる。1951年、ペプシ・コーラのTVコマーシャルでデビュー。主に脇役で活躍する。1952年、徴兵により沿岸警備隊に配属される。1955年、退役し、ワーナー・ブラザーズと契約。『理由なき反抗』に脇役で出演、明るいキャラクターでスタッフの人気者となる。1959年、テレビシリーズ『The Rebel』で主役デビュー。また、元子役の女優キャロル・ニュージェントと結婚、後に2子をもうける。

 1963年、『Twilight of Honor』での演技が評価され、第36回アカデミー賞で助演男優賞にノミネートされた。1965年、東宝に招かれ、『フランケンシュタイン対地底怪獣』、『怪獣大戦争』に出演。ラス・タンブリンやジョゼフ・コットンなど、同列のSF映画で日本に招かれたハリウッド俳優達が、日本人スタッフと交わろうとせずに反発を受けたのに対し、ニックは積極的に打ち解け馴染もうとし、共演者らにも人気があった。日本文化にも興味を示し、日本食も進んで口にした。ダイエット中といいながら、日本食を食べまくっていたという。1967年、再来日し、『国際秘密警察 絶体絶命』に出演。しかし、本国では低予算のB級映画への仕事が続き、思い悩んでいたという。

 1968年2月7日、錠剤の過量摂取によって死亡。過失による事故死か自殺か意見は分かれる。

 映画界で同期のジェームズ・ディーンエルヴィス・プレスリーとは、大の親友として知られる。ハリウッドでは、彼らとは同性愛関係にあったのではないかとの説が根強く囁かれている。『怪獣大戦争』の際には、妻帯者であるのに、水野久美に映画の役柄そのままに「妻とは離婚するから、結婚しよう」としつこく迫った。当時ニックは離婚協議の泥仕合の最中であり、本気であった可能性も高い。後に娘のアリソンは、このことが帰国後、父の離婚の原因のひとつになったとコメントしている。

 1968年2月7日死去(享年36)