朝木明代(あさきあきよ 1944年9月4日生)
[政治家]
・マンションの踊り場や着衣に争った形跡がない。
・直後に発見した飲食店従業員に「大丈夫です」と答え、「救急車を呼びましょうか」との問いに「いいです」と断っており、危害を加えられたことをうかがわせる言動もなかった。
・死亡する数時間前から一人で沈んだ様子で行ったり来たりする姿が目撃されている。
司法解剖鑑定書では上肢に以下の損傷を認めるとの記載がある。
・左上腕部後面、肘頭部の上左方4cmの部を中心に、2×2.5cmの紫青色皮膚変色部。左上腕部内側下1/3の部に、上下に7cm、幅3cmの淡赤紫色及び淡赤褐色皮膚変色部。加割すると皮下出血を認める。
・左手背部、拇指側に小豆大から小指頭大の淡赤褐色皮膚変色部3個、小指側に2×1.5cmの淡赤褐色皮膚変色部を認める。
・左第1指中央部手背側、1.5×1cmの淡赤褐色皮膚変色部。左第2指末節部手背側、1×0.5cmと0.7×1.2cmの淡赤褐色皮膚変色部夫々1個。左第2指中節関節部手背側、半米粒大淡赤褐色表皮剥脱。左第3指末節関節部手背側、0.7×0.5cmの淡赤褐色皮膚変色部。加割すると皮下出血を認める。
・右上腕部内部、腋窩の高さの下方11cmの部を中心に、上下に5cm、幅9.5cmの皮膚変色部を認める。加割すると皮下出血を認める。
・右前腕部内側、肘頭部の高さの下方9cmの部を中心に、上下に5.5cm、幅6.5cmの範囲に栗粒大以下の紫赤色皮膚変色部及び1×1.6cm以下の紫青色皮膚変色部多数を認める。加割すると皮下出血を認めるとある。
ジャーナリストの瀬戸弘幸は東村山署現職警察官の内部告発として「朝木の死は「自殺」ではなく「他殺」であり、東村山署では殺害した犯人3名を特定したが、検察からの捜査終了の圧力がかかり捜査を断念せざるをえなかった」という内容を公表した。また東京地検の検察官は、不起訴処分について創価学会の弁護士に電話連絡を行った。そして、矢野は、自分は検察官が創価学会の弁護士に電話をした場に偶然居合わせており、検察官が「告訴から3年間、十二分に捜査した結果、創価学会側が事件に関与した疑いは否定できないということで、不起訴の処分をきめたんですよ」と発言した。
矢野穂積と長女の朝木直子らは下記の根拠により、謀殺である、創価学会が関与している、と主張している。
・朝木は1992年から創価学会および公明党の批判を展開していた。また、創価学会からの脱会者の救済もしていた。
・9月3日には高知の創価学会関係のシンポジウムで講演する予定であった。
・朝木の性格として自殺はあり得ない。
・事務所・自宅(ともに、転落現場から徒歩数分以内にある)に遺書はなく、事務所は照明・エアコンがついたままで、やりかけの仕事が中断した状態だった。財布等の入ったバッグも置いたままだった。矢野は9時19分までに事務所に戻って朝木が自宅からかけた電話を受けた。朝木は「ちょっと気分が悪いので休んで行きます」と伝え、矢野は「ハイハイ」と答えた。長女の朝木直子は10時30分頃に自宅と事務所に戻って状況を見ており、事務所は無人だったという。
・矢野らによると、事件の2年ほど前から朝木や周辺の人物に対する嫌がらせや脅迫(いたずら電話、放火、ポケベルに入った不吉なメッセージと読むことができる数字列、など)があり、一部については創価学会員によることが判明しているという(ただし、その多くは、矢野らの証言以外に根拠がなく、これらの事実が争点の1つとなった)。
・転落現場の手すりには朝木のものと思われる指の跡がある(擦った跡であり、指紋は採取できなかった)。これは、落下に抵抗したことを示している。
・転落死事件当時、事件の担当検事及び担当検事の指揮に当たる東京地検八王子支部長は、ともに創価学会員であった。
・創価学会は、懸命に他殺を否定したり、自殺を主張している。矢野らによると、殺害に無関係であれば、殺害への関与をほのめかされたとしても無関心を保つはずである。
矢野と長女の朝木直子らは謀殺説をマスコミ取材やライターの乙骨正生を通じて広めた。謀殺説はマスコミの関心を集め、『FOCUS』『週刊現代』『週刊新潮』をはじめ、週刊誌や月刊誌、テレビ・ラジオ番組で謀殺疑惑が取り上げられた。事件は米国の『タイム』アジア版の創価学会・宗教法人法改正を扱った記事の導入部でも紹介された。創価学会は『週刊現代』『週刊新潮』の記事に対する反論を機関紙『聖教新聞』と系列誌『潮』に掲載して謀殺説を批判し、万引きを隠蔽するためのアリバイ工作が露見したことを苦にした自殺の可能性が高い、と主張した。
TBSテレビは、夕方の報道番組『JNNニュースの森』で1995年10月6日から2回にわたって転落死事件を「極めて不可解な謎」とする特集を組んだ。1回目の特集は長女の朝木直子と矢野の談話を中心に構成され、朝木が市政の不正を厳しく追及していたこと、遺族が他殺を確信していることを紹介し、矢野らの主張する他殺の根拠を列挙した。万引き被疑事件について、朝木直子は「完全なでっち上げ」、矢野は「レシートのコピーは証拠ではなく参考資料として出した。後から訂正したのでアリバイ工作ではない」と述べ、番組は「最も本質的な自殺の動機が分からない」と結論している。2回目の特集の主な内容は、次の4点であった。
・転落時の着衣の臀部部分を横断する白い筋について検証した。矢野は、ビルの手すりに擦れて付く塗料の跡と似ており、身体が縦になって落ちたとすると手すりの跡が横方向につくのは不自然だと指摘した。TBSが依頼した検査機関が赤外分光法による検査を行った結果、血液や汚れ以外は検出されず、白い筋は摩擦によってできた「生地のすり傷」と推定された。この件について、以後、矢野らが他殺の証拠として言及することはなかった。
・事件直前に朝木から矢野にかかってきた電話の録音テープの鑑定を日本音響研究所の鈴木松美に依頼し、鈴木は周波数の変動が「極限の興奮状態で発せられた声」を示していると鑑定した。矢野らは犯人グループが朝木を自宅で拘束し、事務所の矢野に電話をかけることを強制してから現場に連行して突き落とした、という推理を示している。
・倒れている朝木とハンバーガー店の店長、女性店員との問答の内容をニュースの森ではテロップ付きで
発見者「大丈夫ですか」
朝木「大丈夫」
発見者「落ちたのですか」
朝木(首を横に振った)
朝木「いいです」
と紹介、その後ハンバーガー店のオーナーが記者会見で説明するシーンに入るが「この人物、実は当事者ではない」というナレーションが入った。取材班は女性店員の自宅を訪れて取材を申し入れたが「もうタッチしないことにしている」「全部警察に話した」と断られ、最後は、関係者と名乗る人物が「社長(オーナー)から、もう関係ないんだから何も言うなと言われている」と話すシーンで結ばれている。
新進党に加わっていた旧公明党勢力と背後の創価学会に対し警戒と攻撃を強めていた自民党も、早くからこの事件に着目し、亀井静香と白川勝彦が警察庁と警視庁に自殺として処理しないことを求めたという。11月の衆議院・参議院の「宗教法人に関する特別委員会」においては、自民党所属の議員が、乙骨正生が『文藝春秋』に執筆した「東村山市議怪死のミステリー」を主な根拠として転落死事件の捜査手法に疑問を投げかける質問をした。質問は、
・朝木が創価学会をきびしく批判追及していて創価学会からの嫌がらせを受けていた。
・転落死を自殺とするには疑問な点がある。
・上記にもかかわらず東村山署は副署長を先頭に自殺と決めつけて捜査している。
など矢野らの主張をほぼそのまま紹介していた。以前から創価学会との対立を抱え、乙骨正生と親密だった共産党中央も矢野らの支持に回った。
謀殺疑惑が広がった状況下で転落死事件の調査を続けていた東村山署は、
・落下現場と推定される非常階段付近に争った痕跡がない。
・現場のビルは駅前にあり、転落は夜10時ごろと推定される。人通りが多く目撃されやすい場所を選んで拉致連行しビルから突き落としたというのは殺害目的としては不自然であり、そのような条件にもかかわらず連行・争闘の目撃者もなかった(落下時と思われる悲鳴を聞いた人はいた)。また、殺害犯は、落下したものの息があった朝木を放置して現場から去ったことになる。
・事件の夜に朝木が転落現場付近を単独で歩いていたという目撃証言がある。
・遺体の検視と司法解剖の結果、朝木の身体には、落下による損傷の他には争ったり抵抗をした痕跡は見られなかった。
・血液からエーテル、クロロホルム、吸入麻酔剤、劇毒物、アルコールなどは検出されず、倒れている朝木は意識を保っていた。
・倒れている朝木はビル1階のハンバーガー店店長および店員(第一発見者)と問答を交わしたが、突き落とされたことを訴える言動はなく、救急車を呼ぶのを断った。店長が朝木に「大丈夫ですか」と声をかけると、明代は「大丈夫」と答え、店長が「落ちたのですか」と尋ねると首を振って「違う」と否定した。店員が「救急車を呼びましょうか」と申し出ると「いいです」と断ったという。ちなみに矢野らは「落ちたのですか」「違う」の部分は「飛び降りたのか」「飛び降りてはない」と主張している。
などの根拠から自殺寄りの判断(犯罪性は薄い)をして1995年12月に書類送検、東京地方検察庁も1年半後の1997年4月14日に「自殺の可能性が高く、他殺の確証なし」と結論した。
1995年9月2日死去(享年50)