三上繁

三上繁(みかみしげる 本名:三谷寅之助 1872年12月21日生)
 [俳優]



 父は兵庫県有馬郡三田町三輪村出身の三谷徳右ヱ門の四男佐助、母は坂井小三郎の長女なおであった。父は大阪で事業を起こし失敗、その後、神戸元町に移りブリキ屋を創業、同地における元祖となった。白洲退蔵の奨めでキリスト教に入信。現在の日本基督教団神戸教会の会員となり活動的信徒として多聞教会、兵庫教会の設立に携わった。長兄は三谷種吉、キリスト教の音楽伝道者、牧師となる。弟の酒井良太郎は実業家。末弟の三谷俊造は米国に渡り作曲家となる。

 1886年、同志社英学校に入学。1890年、近江八幡YMCAの貧民救済音楽会で奏楽。このころ同志社を中退。1891年頃から得意なアコーディオン、ヴァイオリンを片手に音楽活動に盛んに従事し、兄種吉とともにアコーディオンの曲集を編纂する。その後、川上音二郎一座に加わる。

 一座として欧米巡業に出かけたが、1900年1月25日に脳梅毒を発病、翌26日午後3時15分、故国に婚約者を残し興行先の米国のボストン府立病院にて召天。ボストン近郊のマウントホームの墓地に葬られた。

 1900年1月26日死去(享年27)