時天空慶晃

時天空慶晃(ときてんくうよしあき 1979年9月10日生)
 [大相撲力士]



 モンゴル国ウランバートル市出身。モンゴル相撲の小結の父親の息子として生まれる。若年時には、ウランバートル市内の柔道クラブで、後の朝青龍、朝赤龍、日馬富士らと稽古を重ねた。モンゴル国立農業大学に進学後、卒業を待たずに2000年4月スポーツ交流留学生として、東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に転入。同学では相撲部に入部し、転入初年度に全国学生相撲個人体重別選手権大会(100kg未満級)で優勝した。本来、来日して東京農大に転入の際には、農政・食糧技術を学士修了してモンゴルへ帰国し、母国モンゴル国内の公立学校の教職につく予定だったが、大相撲で活躍する朝青龍、朝赤龍らの姿を見て次第に興味を持ち、角界に入るためには入門時の年齢制限である23歳も迫っていたため、同学在学中のまま3年次に時津風部屋へ入門した。

 2002年7月場所に前相撲から初土俵。同期7人の中で1番目に出世を決めた。翌場所から3場所連続全勝優勝。板井の26連勝に次ぐ序ノ口からの22連勝を記録した。柔道経験を活かして二枚蹴りや内掛けといった足癖を見せた。2004年3月場所には十両昇進。十両を2場所で通過し、7月場所には初土俵から所要12場所の史上最速タイ(当時)で新入幕を果たした。2005年11月場所には西前頭7枚目で10勝5敗を挙げ、突っ張りが評価されて技能賞を受賞した。小結を3場所(2007年3月、7月、2013年7月)経験しており、2度目の復帰は35場所ぶりという昭和以降2位のスロー復帰となったが、いずれの場所も負け越して一場所で陥落し定着を果たせなかった。

 幕内に定着しても入門以来の足癖は健在で人気のあった時天空だったが、2016年1月場所前、悪性リンパ腫で闘病中であることが公表された(それまでは休場理由を右肋骨骨折による全治2ヶ月と発表していた)。これにより1月場所の休場を発表し、その後の場所も休場を続けた。「できたら1回、土俵に上がりたい」と願い、抗がん剤治療の副作用で髪が抜けることを覚悟し、2015年11月場所前には都内でひっそりと身内だけでの断髪式を行い、病と闘っていた。最初は合わなかった抗がん剤も種類を変え、次第に効果が表れたために、腫瘍は小さくなり、復帰の為にジムで体を動かし始めたが、全休続きで番付が西三段目26枚目まで落ちた事もあり、復帰を断念し、2016年8月に現役を引退することになった。

 引退後は年寄として業務に当たったが程なく病状が悪化、療養に専念していたが、2017年1月30日に呼吸困難を訴えて急遽慶應義塾大学病院へ救急搬送され、翌31日午前1時12分、悪性リンパ腫のため息を引き取った。

 2017年1月31日死去(享年37)