ロミー・シュナイダー(Romy
Schneider 本名:ローゼマリー・マグダレーナ・アルバッハ 1938年9月23日生)
[オーストリア・女優]
離婚、病気、そして息子の悲惨な死という不幸が続き、心身ともにボロボロの状態だったが、ロミーにとってはカメラの前に立ってしゃにむに働くことだけが、自分に納得のいく唯一の治療だった。息子の死後3ヶ月の1981年10月、映画『サン・スーシの女』の撮影がベルリンで開始された。撮影はパリ、ノルマンディと続き1981年12月末に終了した。1982年3月、ロミーはパリから西へ40km、イヴリーヌ県の小さな村ボワシー・サン・ザヴォワールの古い田舎屋敷を購入し、新居改修完了までの仮住まいをパリ7区バルベ・ド・ジュイ通りのアパルトマンに据える。『サン・スーシの女』はパリ地区で51万人、フランス全土で196万人の観客を動員した。次に出演する映画は、アラン・ドロンと共演のサスペンス映画になる予定で、1982年6月1日から撮影が開始されるはずであった。
ロミーの1日は朝食前のビールに始まり、午前中はシャンパン、午後はウイスキー、夜はウォッカ、そして深夜には再びシャンパンという生活を送っていた。撮影中にもワインやシャンパンを飲むことも多かったという。1982年5月29日、パリの自宅アパートで変死体で発見された。寝室には空になったバルビツール催眠薬の容器、居間にはやはり空になったワインの瓶があった。検視の結果外傷はなく自然死と診断され、司法解剖は行われなかった。死因は睡眠薬の過剰服用が原因と言われる心不全、死亡推定時刻は朝5時。葬儀は6月2日、アラン・ドロンの手配でボワシー・サン・ザヴォワールの教会で行われ、フランスの多くの映画人が参列したが、ドイツからの参列者は身内以外は殆どなかったという。
遺体は故国ドイツに戻ることなく、ボワシー・サン・ザヴォワールの墓地に息子ダビットと共に埋葬されている。墓碑には ロミーの本名「ローゼマリー・アルバッハ」と生年・没年月日のみが記され、息子の死を信じたがらなかったロミーへの心づかいか、息子ダーヴィットには没年月日が記されていない。ドロン自身はマスコミの騒ぎを避けるため葬儀を欠席し、6月14日に墓前で別れを告げた。1984年、フランス映画界の将来有望な若手女優に贈られるロミー・シュナイダー賞が創設された。
1982年5月29日死去(享年43)