小泉軍治

小泉軍治(こいずみぐんじ 1885年7月8日生)
 [柔道家]



 茨城県出身。柔道をイギリスに紹介し、「イギリス柔道の父」と称された日本の柔道家である。イングランドで最初、また、ヨーロッパで最初の柔道団体として、ロンドンに「Budokwai(武道会)」を創設した。小泉はイギリス柔道連盟の設立を助け、ヨーロッパ柔道連盟を創設した。最終段位は講道館8段であった。

 1965年4月15日、ロンドンの自宅にて小泉は変わり果てた姿で発見された。小泉は正装してお気に入りの椅子に坐り、ガスストーブを傍に置き、頭に袋をかぶっていたという。小泉が死去する前夜、弟子の一人チャールズ・パーマーは、いつもと様子が違うように思った。「いつものように笑ってお休みという代わりに彼はパーマーの手を握って「さよなら」と言った」という。

 小泉の死は柔道界に衝撃を与え議論が起きた。自殺は不名誉だとする者もいたが、小泉の死は名誉あるサムライの死であると言う者もいた。講道館館長の嘉納履正は小泉の他界時には渡米中で、帰国後の4月29日に小泉から届いた手紙を受け取った。消印は4月15日付で、「謹啓枯木の様な老生の餘生、天の攝理を待つのが退屈になりましたので一足先に失礼さして頂きます」「知遇以來御懇篤な御交誼と御指導深く御禮申上ます」「重大なる御使命の達成と、御一家の御多幸を祈りつゝ拜具」とあり、裏面には大字で「信念の進路に生死なし」と記されていたという。

 1965年4月15日死去(享年79)