オマイラ・サンチェス

オマイラ・サンチェス(Omayra Sanchez 1972年8月28日生)
 [火山犠牲者]



 1984年11月、コロンビアにあるネバドデルルイス山は約140年ぶりに噴火活動を開始。翌1985年9月11日、水蒸気爆発によりラハール(融けた雪と火山噴出物による泥流)が発生して27km流下した。10月7日、コロンビア国立地質鉱山研究所がアメリカの火山学者の指導の下にハザードマップを作成・公表し、地方自治体や関係諸機関に配布したが、噴火が一時沈静化していたことなどからほとんど評価されなかった。そして11月13日15時過ぎ、ルイス山は本格的に噴火を起こし、21時頃に最高潮に達した。この際発生した火砕流により山頂の雪や氷と雲が溶け、大量のラハールが発生した。ラハールの厚さは最大で50mに及び、100km以上の距離を流下して麓のトリマ県アルメロ市を直撃した。その被害は甚大で、人口28700人の約4分の3にあたる21000人が死亡した。これを含め噴火による被害は死者23000人、負傷者5000人、家屋の損壊5000棟となり、20世紀における火山噴火で2番目の被害者を出した。

 アルメロに住んでいた13歳の少女オマイラ・サンチェスが、泥流で足を挟まれたまま水の中から出られず、首と手だけ水上に出た状態で救助を待つ姿が報道された。彼女はビデオカメラに向かって笑顔で手を振ったり、投げキスしたり、「水の中にいるから、顔を洗うのも簡単よ」と明るく気丈に振る舞う余裕があったが、時が経つにつれて、「ママ、先に天国で待ってるね」「ママ、愛してる。今までありがとう」と感謝を述べ、最後は笑顔で皆にお礼を言っていた。

 救急隊が彼女を助けようとしたが貧弱な装備しかなく、道路損壊のために救助工作車の到達が困難な状態であった。彼女の足を切断する案もあったが現場には専門家がいないため不可能だった。3日間耐えた彼女であったが、救助の試みもむなしく母親が見守る中、壊疽と低体温により死去した。彼女の勇気と威厳のある態度と、息を引き取った彼女が力尽きて水の中に沈んでゆく映像が世界中に報道され、多くの人の涙を誘った。

 生還を果たした人たちによると、再度の噴火の可能性等の警告が行われたが、以前から偽情報が多く流れていたため、あまり聞き入れられなかった。さらに、市民のパニックを恐れた市長(被災により死亡)がラジオで「噴火はない」と終始放送を続け、その日の祭りのために近隣の住民が駆けつけたことも被害を大きくした。このことから、2008年2月12日にUNESCOは国際惑星地球年の一環として、正確な知識の不足と情報伝達の不備による「世界最悪の人災による悲劇」のワースト5の一つとしてこの噴火災害を認定している。

 災害から16年たった2001年ごろまで、町は60cm以上の灰や残骸に覆われていた。村人たちは、石や骨などを拾い集め神殿に点置した。間に合わせのフェンスで動物の侵入を防ぐことによって、現在では小さな木が育ち始めている。アルメロは、現在被災地の北約8kmに移転しており、旧市街地は墓地として保全され、今でも多くの遺体が眠っている。この噴火の復旧には、その年のコロンビアの国民総生産の約20%にあたる77億ドルが費やされた。

 1985年11月16日死去(享年13)