萩原流行

萩原流行(はぎわらながれ 本名:萩原光男 1953年4月8日生)
 [俳優/タレント]



 東京都出身。世田谷学園中学校・高等学校卒業後、劇団「ザ・スーパーカムパニイ」に所属し、1973年に初舞台を踏む。1981年より「つかこうへい事務所」に参加し舞台「ひもの話」「蒲田行進曲」などに出演。1982年には『蒲田行進曲』で映画デビュー。以降、映画『人生劇場』『嵐が丘』『マークスの山』、NHK大河ドラマ『炎立つ』、フジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』、日本テレビ系ドラマ『家なき子2』など多数で俳優として活躍。また、2000年代以降は役者だけでなく、明るく豪快なキャラクターでバラエティ番組などにも出演していた。2008年12月、自身の俳優としてのDNAを継承すべき場として萩原流行アクターズスタジオを開設した。

 2015年4月22日午後6時頃、東京都杉並区高円寺南の青梅街道において、転倒したハーレーダビッドソンのそばに倒れているところを発見され、病院に搬送されたが、約1時間半後に死亡が確認された。

 警察によると、事故当時、3車線の中央車線を走行中、左側から車線変更をした警視庁高井戸警察署の護送車と接触し転倒、道路に投げ出されたところを後方からきた乗用車に胸部を轢かれたとみられる。また、事故直前、萩原が前方を走行する車両に追い越しをかけていた際にバイクが不安定にふらついていたという目撃情報もあった。萩原はうつ病を患っていたこともあり、事故当日の薬の服用なども含めて調べが進められた。なお、事故が起きた18時ごろ、東京西部は雨が降りだしていた。 護送車を運転していた警部補は気がつかなかったと述べている。

 2015年5月22日には妻の萩原まゆ美が記者会見を開き、当初護送車ではなくワンボックス車と発表したことや、死因を心房破裂死と説明されていたが死体検案書には死因不詳とされたことなど、警察により遺族に情報が伝わらず警察に対して不信感があることを告白した。同年7月2日、妻が二度目の記者会見を開き、警察側の説明について「ネット上にある事件直後の動画などと、食い違う部分が多い」と改めて不信感を示した 。高井戸警察署による謝罪については、実況見分時の署員の言動を理由に拒絶している。また事故当時に、うつ病による影響を強調するような警察発表・報道がなされたことに関して「事故をたびたび起こしていたと表現されたり、うつ病が原因しているという誤った報道により傷つけられた、萩原流行の名誉を回復することを一番に考える」とした。同年8月14日、司法解剖の結果、左心房破裂および多発肋骨骨折を含む高度胸部外傷と報告された。同年9月10日、警視庁の護送車が安全確認を怠って車線変更したことが転倒につながったとして、過失運転致死の疑いで護送車のドライバーだった高井戸署の男性警部補が書類送検された。

 2015年4月22日死去(享年62)