眞田清裕

眞田清裕(さなだせいすけ 1974年12月2日生)
 [レーシングドライバー]



 神奈川県出身。父親はレーシングドライバーの眞田睦明。1994年に国内レースに参戦を開始。1995年に渡英しレース留学。FVJ(フォーミュラ・ボクスホール・ジュニア)に参戦。

 1996年に帰国し、フォーミュラ・トヨタに参戦。1998年、フォーミュラ・トヨタ第2戦筑波で初優勝。同年12月には鈴鹿サーキットで行われたF3のテストに参加。翌1999年、フォーミュラ・トヨタにスポット参戦。

 1999年11月26日午後、滋賀県大津市の名神高速道路を走行中に交通事故に遭い、帰らぬ人となった。その日はオートポリスで行われる「全日本GT選手権オールスター戦」の練習走行日で、翌日、眞田はオートポリスに行く予定だった。事故後の現場検証によると、彼が運転中(フェラーリF360)、追い越し車線を走行中に落下物と思われる大きな石があったため、避けきれずにそれに激突し、その弾みで中央分離帯に激突、更に路肩のガードレールに弾かれて停止し、その際にクルマから出火したことが明らかになっている。死因は焼死だった。事故の原因となった石は、そのほかにも数台の車輌と接触していた事が判明した。

 その後の調査で、眞田が事故に遭う直前に、ダンプトラックが後輪タイヤに挟まっていた直径13センチほどの石を落としていたことが判明した。2003年5月、点検義務を怠ったとして、業務上過失致死罪でトラック運転手に罰金20万円の判決が下された。

 眞田は同時期にイギリスへレース留学していた横山崇舘信吾とも仲が良かったが、横山崇は1997年10月19日に、舘信吾は1999年3月11日にそれぞれ事故死しており、皮肉にも3人共に20代で事故により亡くなるという運命を辿っている。

 1999年11月26日死去(享年24)