木下雄介

木下雄介(きのしたゆうすけ 1993年10月10日生)
 [プロ野球選手]



 大阪府出身。投手、右投右打。大阪市立加美中学校時代はボーイズリーグの加美ウイングスボーイズでプレー。徳島県の生光学園高等学校に進学し3年生時、全国高等学校野球選手権徳島大会決勝で延長戦の末、徳島県立徳島商業高等学校に敗れ、全国選手権出場を逃した。高校野球四国選抜チームに選ばれてハワイ遠征に参加。翌年、駒澤大学に進学するが、肘を故障して1年で中退。大阪でアルバイト生活を送り、フィットネスジムのトレーナーののち2014年からは不動産会社で営業の仕事に就いていた。高校四国選抜チームの同僚だった増田大輝が四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで活躍していることに刺激を受け、2015年の開幕を控えた3月に練習生として同球団に入団。2015年は開幕後に支配下選手契約となり、このシーズンは15試合に登板し、防御率5.12であった。2年目の2016年は、主にリリーフとして28試合に登板、防御率3.45の成績だった。この年は、6月に実施されたリーグの北米選抜チームにも選ばれた。

 2016年10月20日のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから育成選手枠1位で指名を受け、支度金200万円・年俸300万円で契約を合意。背番号は201。なおドラフト時に既に妻子がおり、入団会見は妻子同席で行った。2017年シーズンはファームで22試合に登板した。11月10日、同月25日から台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、辞退した浜田智博に代わり、NPBウエスタン選抜に追加召集で選出された。11月12日、現状維持で契約更改した。「課題は明確。変化球の精度を上げること、真っすぐの質を高めることと技術面の課題が多い」と述べ、2018年シーズンの支配下登録を目指すとコメントした。2018年は育成選手で唯一一軍キャンプに帯同し、オープン戦で4試合に登板して5回を1失点という内容を評価され、3月23日に支配下登録となることが発表された。背番号は98となる。4月15日、又吉克樹に代わって出場登録され、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)の8回に登板し、三者凡退に抑えて公式戦デビューを果たした。2019年はわずか5試合の登板に終わった。また、シーズン中に大阪市中央区でごみ収集車を運転していた父親が、交通事故に遭い死亡する出来事があった。当時、中日のシニアディレクターだった森繁和は木下にすぐに大阪に帰るよう伝えたが、木下は「親父は“仕事は絶対に休むな”と言っていたんです。だから試合に出てから戻ります」と、当日の二軍戦に登板した。

 2020年2月25日、一軍春季キャンプでの練習中に左足首を痛め、腓骨筋腱脱臼と診断を受け、3月10日に左脚腓骨腱の縫合手術を受けて試合復帰まで4ヶ月程度かかる見込みが示された。7月17日の二軍戦で実戦復帰登板を果たし最速152km/hを記録。一軍昇格後、9月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で2点リードの延長10回裏に登板した際、1回を無失点に抑えプロ初セーブを挙げた。2021年はオープン戦で無失点の好投を続け、開幕一軍をほぼ手中に収め、勝ちパターンの投手として期待されていた。しかし3月21日、開幕前最後のオープン戦であった北海道日本ハムファイターズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)の8回表に4番手で登板し、二死無走者の場面で淺間大基と相対して4球目を投じた直後に右腕を押さえ、膝をついて倒れ込み、自力で動けずに担架に乗せられて退場、そのまま降板となった。この後名古屋市内の病院で診察を受け、右肩脱臼の重傷と判明。自身二度目となる精神的にも痛い脱臼となった。4月9日、大阪市内の病院で右肩前方脱臼修復術を受け、更に検査の段階で担当医らが総合的に判断し、併せて右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)も行われた。トミー・ジョン手術は復帰まで約1年かかるため、2021年シーズンの復帰は絶望的となった。また、木下のケガからの復帰を願うために 同じ中日の又吉克樹が自分が使用する野球メーカー「ローリングス」に依頼し、木下の顔写真を使用したTシャツを作成した。

 2021年7月6日9時半頃、ナゴヤ球場での練習の休憩中に息苦しさを訴え突然倒れた。意識を失い心肺停止の状態となり、トレーナーによる自動体外式除細動器(AED)での処置後も意識は戻らず、11時半頃に名古屋市内の病院に救急搬送された。球団関係者によれば「練習場でかなり力の入った激しい運動をしている最中に倒れ、先に心臓周辺に問題が発生し、その影響が脳に及んで人工呼吸器を外すこともできない重篤な状態に陥っていた」ということだった。翌7日には豊明市内の病院へ転院し治療を続けていた。倒れる約1週間前の6月28日に球団の親会社である中日新聞社の職域接種を利用し、新型コロナウイルスワクチン接種の1回目接種を受けていたとされるが、接種との因果関係は「不明」とされ、政府閣僚の記者会見でも言及されることはなかった。木下の病状は予断を許さない状況になっていたが、意識は回復することなく、同年8月3日に死去。死因は家族の意向により非公表。8月6日、取材に応じた球団代表の加藤宏幸は詳細な病状などを早く伝えなかった理由として「家族の意向があった」ことを挙げている。NPB現役選手の死去事例は、2010年の小瀬浩之(当時オリックス・バファローズ)以来となった。

 8月8日の中日対西武のエキシビションマッチ(バンテリンドーム ナゴヤ)では球団旗が弔旗になり、チーム全員が左肩に喪章をつけて、試合前に両球団が黙祷した。中日側ベンチ内には木下が着ていた背番号98のユニフォームが掲げられた。また、中日先発投手の小笠原慎之介は、本来木下の登場曲である湘南乃風の「黄金魂」をこの日限定で登場曲に使用した。9月5日の一軍DeNA戦とファーム阪神戦で追悼試合が行われ、監督・コーチ・選手全員が背番号98の特別ユニホームを着用した。バンテリンドームのマウンドには「98」が施され、試合前にはバックスクリーンに木下の勇姿を振り返った映像が流された。その後、木下の親族、監督の与田剛、選手代表の大野雄大、柳裕也、木下拓哉、京田陽太がマウンドに献花を行った。献花後は黙祷が捧げられ、木下の長女と長男が始球式を行った。始球式後は木下の登場曲「黄金魂」が流れる中、木下の子ども2人が中日ナインとハイタッチを交わした。また、ファームでは木下の兄が始球式を行った。なお、一軍の対戦相手・DeNAナインも山﨑康晃の発案で帽子などに「98」を記して試合に臨んだ。

 2021年8月3日死去(享年27)