ジャンニ・ヴェルサーチ

ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace 本名:ジョバンニ・マリア・ヴェルサーチ 1946年12月2日生)
 [イタリア・ファッションデザイナー/写真家]



 レッジョ・カラブリア生まれ。イタリア・ミラノを発として世界中のファッションを席巻したジョルジオ・アルマーニ 、ジャンフランコ・フェッレらと合わせて「ミラノの3G」とも呼ばれた。彼のデザインは華やかで芸術的であり、数々の美術館で回顧展が開かれている。またスーパーモデルブームの火付け役として時代の大きな流れを牽引した。

 ジャンニは、歴史的な遺構が数多く残るレッジョ・カラブリアに育ったこともあり、古代ギリシャ文明の影響を大きく受けた。母親が縫製業を営んでいたため、、はやくからファッション業界に親しんでいた。26歳でミラノに移住してファッション産業で働き始める以前には、建築についても学んでいた。

 いくつかのブランドで働いた後、1978年に独立してミラノに第1号店をオープンすると、即座にファッションシーンに国際的なセンセーションを巻き起こした。ジャンニのデザインは鮮やかな色彩と、大胆なプリント、セクシーなカッティングにより、それまでの控えめな色彩とシンプルな形によるファッションシーンを一新した。

 その後、パリ・コレでオートクチュールを手がけたり、舞台衣装の製作などにも携わり精力的に活動していたが、1997年7月15日にマイアミ・ビーチにある別荘の入口でゲイの高級売春夫で連続殺人犯アンドルー・クナナンによって射殺されてた。ジャンニは、歩いて5分ほどのニューズカフェでコーヒーを飲みながらイタリアの新聞を読むのをバカンス中の朝の日課にしており、その帰りだった。

 犯人のクナナンはフィリピン系の父とイタリア系の母を持つ28歳の男で、IQが147あり、7ヶ国語を操る秀才だった。父は軍人で貧しいながらも、優秀な息子の将来を思って高い私立高校に通わせた。カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学したが、父親が転職先で失敗し家族を捨ててフィリピンに帰国してしまう。クナナンは父を追ったがフィリピンでの悲惨な暮らしぶりを見て絶望し、大学を中退、サンフランシスコの有名なゲイ・タウン、カストロ通りで金持ち相手に男娼を始める。話術に長け、好青年風のクナナンはカルフォルニアのゲイ・コミュニティで人気者になり、映画界やビジネス界のセレブたちとも交流があった。ジャンニとは、サンフランシスコのオペラのあとの社交パーティで、クナナンの当時の恋人だった弁護士を通じて知り合ったと言われている。ジャンニ殺害の数ヶ月前に、三角関係のもつれから建築家と元海兵隊員をミネアポリスで殺害し逃走。警察に追われるなか、シカゴへ行き、当地の不動産王と言われていた70代の男性を暴行の末、喉をかき切って殺害し、金品を奪った。さらに逃走車両強奪の目的でニュージャージーで一人を射殺し、マイアミに逃げた。クナナンはジャンニを殺害した1週間後の7月23日、警察に包囲されるなか、潜伏していたボートハウスで拳銃自殺した。クナナンは彼の恋人とうわさされたが、定かではない。

 1997年7月15日死去(享年50)