ジーン・ヴィンセント

ジーン・ヴィンセント (Gene Vincent 本名:ヴィンセント・ユージン・クラドック 1935年2月11日生)
 [アメリカ・ミュージシャン]



 バージニア州ノーフォーク生まれ。生家はとても貧しく、大変苦労して育った。1947年、教会の賛美歌を聞き音楽に興味を持つ。1950年、サウス・ノーフォーク・ハイスクールへ進学。その頃からカントリーやブルースに興味を持ち始める。1952年、中退、アメリカ海兵隊へ。1953年、入隊中にオートバイ事故を起こし左足が曲がらなくなり生涯、足に障害を持つ事となる。

 1956年、ノースカロライナ州のラジオ局、WCMSのディスクジョッキー、ビル・デイビスに誘われカントリー・ショウに出演。これが良い評価を受ける。これを機にビルがマネージャーになり、地元のミュージシャンを集めバックバンドのブルー・キャップスを結成。

 同年、デビュー・シングル「Be Bop A-Lula」を発表、全米9位にチャート・インした。他、映画『女はそれを我慢できない』、『Hot Rod Gang』に出演。その後シングル曲をいくつか発表するが、ロックンロールに飽き始めていた米国ではその後ヒットしなかった。

 米国での活動に見切りをつけたジーンは、エディ・コクランバディ・ホリー等と同様、拠点をヨーロッパに移し各国を周りかなり良い成果を得た。中でも英国ではロックンロールが全盛期で特に人気があり、当時若年だったジョン・レノンやポール・マッカートニー等も度々ショウを観に行っていた。1960年4月16日、イギリスツアー中だったコクランらと共に乗ったタクシーが街路樹に衝突し、ヴィンセントらは助かったものの、コクランは重傷を負い翌日死亡した。

 その後は若い頃にその影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズ等の新しい時代のロックンローロールが席巻すると共にいわゆるロカビリーと云われる古いスタイルのロックンロールは影を潜めていった。

 1971年10月12日、ロサンゼルスのインターバリー・コミュニティー・ホスピタルで、胃潰瘍のため息を引取った。ロサンゼルスのEternal Valley Memorial Parkに埋葬された。1998年にロックの殿堂入り。

 1971年10月12日死去(享年36)