ダフネ・アクハースト

ダフネ・ジェシー・アクハースト(Daphne Jessie Akhurst 1903年4月22日生)
 [オーストラリア・テニス選手]



 シドニー出身。最初はピアニストとして才能を現し、音楽学校を卒業した。音楽教師になった彼女は、テニスは全くの独学であったというが、そのテニスで全豪選手権(全豪オープン)の女子シングルスで5度、女子ダブルスで5度、混合ダブルスで4度優勝し、総計「14勝」を挙げ、オーストラリアの歴史の黎明期を築いた。

 全豪選手権以外の4大大会成績は、1928年に全仏選手権でベスト8に入り、ウィンブルドン選手権でベスト4進出があった。同年のウィンブルドン選手権混合ダブルスでは準優勝だった。

 1930年2月26日、煙草製造業者のロイストン・スタッキー・カズンズと結婚。翌1931年の全豪選手権女子ダブルスで2年ぶり4度目の優勝を飾り、これを最後に競技テニスから引退。その後、1人の息子が生まれたが、第2子の妊娠が子宮外妊娠となり、彼女は1933年1月9日にわずか29歳の若さで急死した。

 全豪選手権の女子競技の黎明期を彩った名選手は、こうして短い生涯を閉じた。その早すぎる死を悼み、全豪オープンの女子シングルス優勝カップには彼女の名前を冠した「ダフネ・アクハースト・メモリアル・カップ」の名前が与えられた。

 1933年1月9日死去(享年29)