中島忠幸

中島忠幸(なかしまただゆき 1971年6月14日生)
 [お笑いタレント]



 福岡県生まれ。後にコンビを組むことになる竹山隆範は小学校と中学校の同級生であり、中島は高校時代にも竹山のやっていたバンドのライブなどを見に行っていた。高校を中退し、板前を目指し福岡の日本料理屋で板前修業するも、修業の辛さに嫌気が差して店を飛び出して上京。その後、偶然にも竹山と再会。中野の惣菜屋でアルバイトをしながら、プライベートでは竹山とほぼ二人で遊び歩いていた。上京して1年後、福岡時代には断っていた竹山からのお笑いコンビ結成の誘いを了承し、一緒に芸を始めた。当時はワタナベエンターテインメント所属。しかしながら一向に人気が得られずにクビになり、個人事務所を立ち上げもしたが借金を背負うなど不遇の時代を過ごした。

 2002年頃よりテレビに出演するようになり、売れないことを逆手にした『キレ芸』を売りにして人気を得るようになった。ネタ中では相方の竹山があまりにもキレる為、なだめる役になっている。しかし、たまに竹山が暴走しすぎた時などは竹山以上の勢いでキレ、彼を黙らせていた。

 2004年4月に結婚し、2004年9月に長男誕生。同年12月から病気療養を理由に休業。翌2005年1月、急性リンパ球性白血病の治療中であることが公表された。同時期には歌手の本田美奈子.も白血病に罹患しており、互いに励ましあいながら闘病していたが、本田は同年11月に死去した。

 2006年1月にドナーが見つかり、臍帯血移植を受け快復傾向にあったが、ウイルス性肺炎の併発によって同年12月20日午前11時46分に死去した。『エンタの神様』(日本テレビ)で竹山が突然かけた携帯電話での声のみの出演が、中島の最後のテレビ出演となった。中島が死去した翌日、記者会見を開いた竹山は落ち込んだ様子で「正直、とても残念」「中島は戦友だし、夫婦みたいなものです」と述べた。また、コンビが実質的な解散となった中島の没後も「カンニング竹山」としてソロ活動していくことを宣言した。中野区内で行われた葬儀・告別式では、竹山が弔辞を読み上げた。戒名は浄楽幸安信士。

 2006年12月20日死去(享年35)