ピート・マラビッチ

ピート・マラビッチ(Pete Maravich 本名:ピーター・プレス・マラビッチ 1947年6月22日生)
 [アメリカ・バスケットボール選手]



 ペンシルベニア州アリクイパ出身。NBAのアトランタ・ホークスやニューオーリンズ・ジャズなどでプレーした。創造的なドリブルやパス、得点の技術において際立った存在だった。NCAA時代には今も破られない、いくつかの得点記録を残した。「ピストル」の愛称を持ち、「ピストル・ピート」と呼ばれた。1980年に引退。1986年にバスケットボール殿堂に推戴され、翌年殿堂入り。

 プロバスケットボールから離れたマラビッチは失意に沈んだが、ヒンドゥー教、ヨガ、UFO、菜食主義や自然食主義などに生きる方策を求めた末、キリスト教に傾倒するようになった。各地の教会を訪れる傍ら、バスケットボールのキャンプにも現れ指導を行った。自らが出演しバスケットボールの技術を解説するビデオも作られた。

 1988年1月、カリフォルニア州パサデナでバスケットボールをしている最中に心臓発作に襲われ死去した。同年、当時のルイジアナ州知事の計らいでルイジアナ州立大学の体育館を改名する条例案が通過し、体育館は「ピート・マラビッチ・アセンブリー・センター」となった。

 1996年にNBAが「50人の偉大な選手」を選出した時、50人の中で故人となっていたのはマラビッチだけだった。背番号7はニューオーリンズ・ジャズの後継であるユタ・ジャズで永久欠番になっている。ニューオーリンズ・ホーネッツはマラビッチの死後ニューオーリンズに移転したチームだが、ホーネッツは地元で活躍したマラビッチを讃え背番号7を永久欠番にしている。

 1988年1月5日死去(享年40)