チャールズ・スタークウェザー

チャールズ・スタークウェザー(Charles Starkweather 1938年11月24日生)
 [アメリカ・連続殺人犯]



 スタークウェザーはネブラスカ州リンカーンの貧しい家庭に生まれ、幼少の頃は言語障害のせいでいじめも経験し、劣等感と被害妄想気味の憎悪を抱いて成長した。職を転々としたが、低賃金労働者であった彼は1957年にガソリンスタンドで強盗を働こうとし、従業員を散弾銃で射殺した。嫌疑を受けそうになったが、通りがかりの犯行と目されていたために強く尋問されることはなかった。1958年1月、スタークウェザーは恋人のキャリル・フューゲイト(14)の家を訪問した際に、両親と口論になり、拳銃で2人共殺害。キャリルの異父妹2歳半のベティーが泣き出した事に腹を立て、ナイフで刺殺。母親とベティーの遺体は屋外のトイレに詰め込み、2人はそのまま殺害現場で6日間を過ごした。そして、玄関のドアに「Every Body is sick with the Flu(みんなインフルエンザに罹っています)」というメモを貼り付けて人が立ち寄らないようにして逃走した。

 その後、2人は隣町の知人を尋ねていく途中で、車が泥にはまり、動けなくなってしまい近所のオーガスト・メイヤー(70)の家に押し入り、「馬を貸してくれ」と言うが断られた為、射殺。馬と現金を奪い、逃走中に地元高校生のロバート・ジェンソン(16)とその婚約者キャロル・キング(16)らの車を止め、現金を奪った上、ジェンソンを射殺し、キャロルを強姦した後に殺害した。その後、逃走資金調達の為、建設会社社長のローエル・ワード宅に侵入し、ローエル夫妻とメイドを殺害して再び逃走した。途中、車の中で仮眠をとっていたメール・コリソンに6発もの銃弾を浴びせ殺害すると、2人はコリソンの遺体を捨て、車に乗り込んだが、警察に包囲れカーチェイスの末に逮捕された。

 結局、スタークウェザーは19歳にしてわずか8日間で10人を殺害した。何の良心の呵責も見せず「俺たちの行く手にはだかる者はみんな殺した。後悔なんてしていない。少なくともほんのしばらくの間、楽しい時を過ごしたんだから。」と供述した。彼は複数の殺人で有罪となり、1959年6月25日に電気椅子により処刑れた。最後の言葉は「(電気椅子の)ベルトが緩すぎる」だったという。恋人のキャリルはスタークウェザーから脅されていたと抗弁したが、共犯として終身刑を宣告された(1977年に釈放)。1973年、彼らの連続殺人をもとにした映画『地獄の逃避行』が公開された。

 1959年6月25日死去(享年20)