アルバート・デッカー

アルバート・デッカー(Albert Dekker 1905年12月20日生)
 [アメリカ・俳優]



 1905年にニューヨーク・ブルックリンのオランダ系アメリカ人の家庭に生まれた。精神分析医か心理学者を目指してボードイン大学に進むが、学生劇に出演したことをきっかけに俳優を目指すようになった。大学卒業後、1927年にシンシナティ(オハイオ州)の舞台でプロの俳優としてデビューし、その数ヶ月後にはブロードウェイの舞台にも立つようになった。1937年にハリウッドデビュー。その後は映画を中心に、たまに舞台にも出演するというスタイルで活動。数多くの映画やテレビドラマに出演した名脇役として知られ、特にテレビでの活躍が評価された。

 政治にも関心が強く、1944年にカリフォルニア州議会の下院議員に当選し、1946年まで民主党議員として活動した。1950年代に入り、マッカーシズムが吹き荒れる中でジョセフ・マッカーシー上院議員を公然と批判し、ブラックリストに名前が載ったことから、俳優としての活動が制限され、特にブロードウェイでの活動が難しくなった。その後は活動の中心を舞台に移し、テレビにも出演する一方、様々な大学で講演活動などを行なった。

 私生活では、1929年に女優エスター・グイリーニと結婚し、後に2人の息子と1人の娘をもうけるが、1964年に離婚している。息子の1人ジョンは、1957年に16歳で猟銃自殺しているが事故として処理されている。

 1968年5月5日、2日間電話に全く出ないことを不審に思った人物により、ハリウッドの自宅で死亡しているのが発見される。金やカメラなどがなくなっていたものの、外部から侵入された形跡はなかった。死体は全裸でバスタブ内でひざまずき、シャワーカーテンのつり棒にかけられた縄で首が吊られている(締められている)状態だった。更に手錠、目隠し、猿ぐつわをされた状態で、性的な言葉(Cocksucker、Slaveなど)が口紅で身体に殴り書きされていた。検視官はいわゆる「窒息プレイ」による事故死と断定した。

 1968年5月5日死去(享年62)