マリア・ゴロスティエタ

マリア・サントス・ゴロスティエタ・サラザール(Maria Santos Gorrostieta Salazar 1976年生)
 [メキシコ・ティキチェオ市長/医師]



 ミチョアカン州ティキチェオ市生まれ。ミチョアカン州立サン・ニコラス・イダルゴ大学医学部卒。2008年に、複数の麻薬組織(カルテル)が激しい縄張り争いを繰り広げていたミチョアカン州ティキチェオ市の市長に就任した。

 市長に就任した翌年の2009年10月15日、同市の元市長だった夫のホセ・サンチェスと共に所有していた農場へ車で向かっていた所を、武装した集団に襲撃される。この襲撃で夫は死亡し、マリアも一命を取り留めたものの重傷を負った。

 夫が殺害された翌年の2010年1月22日には、公用車で移動中に別の車から銃撃を受けた。この際も一命は取り留めたものの、再び重傷を負った。この銃撃の際、非人道的な兵器であるとして1907年のハーグ会議で国際的に軍用弾としての使用が禁止されていたダムダム弾という破壊力が大きい弾丸を麻薬組織側が使用。その弾丸でマリアは内蔵を損傷した為、この事件以降から人工肛門を付けて生活する事となった。退院後にテレビ取材を受けた際、今後も市長として勤務し続けることを表明し「死ぬまで(麻薬組織と)戦う」と宣言した事から、「戦う女市長」として世界的に有名となった。

 2011年6月に任期満了で市長を引退し、その後は医師として病院に務めていたが、2012年11月12日、娘を車で学校に送っていく途中で何者かに連れ去られ、行方不明となり、14日に家族が警察に捜索願いを出したが、翌日の15日朝、クイツェオ市内にあるサン・フアン・タララメオ村で遺体となって発見された。遺体発見の翌日16日に検死作業が行われ、家族によって遺体がマリア本人であると確認された。遺体の両手は縛られ、膝には引きずられた時に付いたと思われる擦り傷があり、直接的な死因は後頭部の外傷であることがわかった。麻薬組織による犯行の可能性が高いとみられている。

 2012年11月15日死去(享年36)