伊藤計劃

伊藤計劃(いとうけいかく 本名:伊藤聡 1974年10月14日生)
 [作家]



 千葉八千代松陰高等学校を経て、武蔵野美術大学美術学部映像学科卒業。大学時代から断続的にはあった右足の痛みが、夜も寝れないほどになり、いくつかの医療機関を受診した結果、右足の神経がユーイング肉腫という癌に侵されていたことが判明する。その後、手術と薬物療法で一旦改善したものの、2005年6月に両肺に転移が見つかり、肺の一部を切除する。Webディレクターの傍ら執筆した『虐殺器官』が、2006年第7回小松左京賞最終候補となり、ハヤカワSFシリーズ Jコレクションより刊行され、作家デビュー。同作は『SFが読みたい! 2008年版』1位、月刊プレイボーイミステリー大賞1位、日本SF作家クラブ主催の第28回日本SF大賞候補となる。

 全く同じ経緯でデビューした円城塔と共に、期待の新人として脚光を浴びるも、癌が全身に転移したため抗がん剤や放射線治療で闘病していたが、2009年3月、肺癌のため死去。同年12月6日、遺作となった『ハーモニー』で第30回日本SF大賞を受賞した。「特別賞」枠を除き、故人が同賞を受賞するのは初めてであった。2010年には同作の英訳版が出版され、アメリカでペーパーバック発刊されたSF小説を対象とした賞であるフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞した。

 伊藤はゲームデザイナー小島秀夫の熱狂的なファンであった。学生時代にプレイした『スナッチャー』から小島の作品にのめりこみ、「小島原理主義者」「MGSフリークス」を自称するほどであった。小島と伊藤は、「東京ゲームショー98春」での『メタルギアソリッド』の展示ブースで初めて出会った。ゲームの大ファンであった伊藤は小島にトレーラーの感想を熱心に語り、小島も熱心なファンとして記憶した。その後も同人誌やファンレターを送るなど、ファンとクリエイターという関係での交流が続いた。2001年9月、小島は入院した伊藤への見舞いとして、社外秘であった開発途中の『メタルギアソリッド2』のカットシーンを持参した。伊藤は映像を見終わった後「ゲームが完成するまで死にません」と言ったという。その後、発表会に小島は退院した伊藤を招待し、この頃には「友人同士」の関係になっていた。発売された『メタルギアソリッド2』は賛否両論だったが、伊藤は自分のウェブサイトで「こんな作品を喜ぶのは俺だけだ!」と擁護した。作家デビュー作である『虐殺器官』を小島は絶賛した。原型となった短編小説が小島の初期の作品である『スナッチャー』のファン小説ということもあり、小島は開発中だった新作『メタルギアソリッド4』のノベライズを伊藤に依頼する。伊藤も、ノベライズにありがちな軽い文章にすることを避け、再読できる立派な「小説」を目指して執筆し、その出来には小島も満足した。小島は、引き続き『メタルギアソリッド3』とその後の話である次回作を一つの小説として伊藤に依頼する考えであった。しかし、伊藤は再入院する。2009年2月、見舞いに行った小島はベッドに伏せる伊藤と映画や小説の話をしたが、虚ろな表情のままほとんど返事もない状態であった。「伊藤さんに元気になってほしい。生きることを諦めてほしくない」と思った小島は、その時点では未発表だった新作『メタルギアソリッド ピースウォーカー』の構想を話すと、伊藤は笑顔を取り戻し、「完成するまで頑張ります」と言った。だが、2度目の約束は果たされず、伊藤は翌月肺癌でこの世を去った。

 翌2010年に発売された『メタルギアソリッド ピースウォーカー』には、エンディングで「このPEACE WALKERを伊藤計劃氏に捧ぐ」とのメッセージが収録されている。その後、伊藤の果たせなかった『メタルギアソリッド3』・『メタルギアソリッド ピースウォーカー』のノベライズ化はそれぞれ長谷敏司・野島一人によって行われ、ともに2014年に発売された。

 2009年3月20日死去(享年34)