クラフト夫妻

カティア・クラフト(Katia Krafft 1942年4月17日生)、モーリス・クラフト(Maurice Krafft 1946年3月25日生)
 [フランス・火山学者]



 クラフト夫妻は火山の写真撮影と映画撮影のパイオニアとして知られている。しばしば危険な溶岩流の足もとまで進んで火山の映像を記録しており、その価値は世界的に評価されていた。

 2人はストラスブール大学で出会った。その後、わずかな貯金をはたいてストロンボリ山へ旅行し、火山の噴火の写真を撮ったことから2人の火山観察者としての経歴は始まった。人々が噴火の写真に興味を示すことに気づいた彼らは、その後火山の映像を記録することに打ち込み、世界を旅することになった。

 クラフト夫妻は、しばしば活動し始めた火山に最初に到着していたため、多くの火山学者の尊敬と羨望を集めた。火山噴火における彼らの業績は、火山の脅威にさらされた自治体の協力を得ることに貢献している。例えば、1988年にはインドネシアのマキアン島のキシ・ベシ火山が噴火する可能性があることを警告し、政府はその警告を受け入れて18000人の全島民を避難させている。5日後の7月17日、キシ・ベシ火山は噴火し、10の村が火山灰に埋まったが犠牲者は出なかった。また、1991年のフィリピンのピナトゥボ山の噴火活動が始まったとき、南米コロンビアのネバド・デル・ルイス山の噴火を撮影した彼らのビデオは、アキノ大統領を含む多数の人々の前で上映され、火山地域からの避難が必要なことを地元住人に理解させることに繋がった。日本へも三原山の噴火などで、度々来邦している。

 夫のモーリス・クラフトは、「私は火山へ接近することで死んでしまうとしても、それを恐れていない。なぜならそのお陰で23年間も様々な噴火を見ることが出来た。もし明日私が死んでしまうとしても、私は構わない」とビデオで語っていたが、残念なことにそれは現実のものとなってしまった。

 1991年、雲仙・普賢岳の噴火で火砕流が発生すると、これまで写真でしか火砕流の映像を撮っていなかった夫妻は普賢岳へ向かう。そして6月3日、噴火を撮影している最中に、2人の立っていた高台は予想外の火砕流に襲われ、同行していたアメリカ地質調査所のハリー・グリッケンやマスコミ関係者、消防関係者ら41名とともに死亡した。被災したマスコミ関係者は、夫妻の背後は安全であると考えて取材を続けていた。

 2011年6月3日で雲仙・普賢岳火砕流から20年になるのを契機に、惨事で命を落としたフランスの火山学者夫妻を描くドキュメンタリードラマ「カティアとモーリス*雲仙・普賢岳に挑んだ夫婦*」が制作され、NHKとフランス2の国際共同制作で9月から長崎県島原市内でロケが行われた。

 カティア 1991年6月3日死去(享年49)
 モーリス 1991年6月3日死去(享年45)