アンドレス・エスコバル・サルダッリアガ(Andres Escobar Saldarriaga 1967年3月13日生)
[コロンビア・サッカー選手]
1次ラウンド終了後、代表チームはアメリカで解散となり、選手の多くは国民の非難を恐れて帰国しようとしなかったが、エスコバルだけは「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と帰国を決意した。この失点は、コロンビアの中盤での連携ミスから端を発したものであり、決してエスコバル一人の責任ではない。
1994年7月2日の深夜3時過ぎ、エスコバルはメデリン郊外のバーで友人と歓談した後、店から出たところを数人の男女に取り囲まれ口論となり、最後には銃撃され死亡した。エスコバルと一緒にいた友人によると、犯人のウンベルト・ムニョス・カストロは銃撃の際に"Gracias por el auto
goal(オウンゴールを有難う)"という言葉を口にしながら、一気に12発の弾丸を発射したという。
この事件はコロンビア代表がの1次リーグで敗退したことへの報復行為であったと広く信じられているが、果たしてこの犯人が単独で及んだ犯行だったのか、またワールドカップを賭けの対象としていた不法賭博シンジケートが関与していたかどうかについては明らかにされていない。当時のコロンビアは殺人発生率世界一であった。世界のサッカーファンは大きな衝撃を受け、この事件を「エスコバルの悲劇」と命名。コロンビア国内で盛大な葬儀が執り行われた。犯人カストロは1995年6月にエスコバル殺害の罪で逮捕され、懲役43年の判決を受け服役したが、模範囚であるとして刑を短縮され11年後に出所した。
1994年7月2日死去(享年27)