月田一郎

月田一郎(つきたいちろう 1909年10月11日生)
 [俳優]



 山口県生まれ、東京都育ち。法政大学に入学したが、映画俳優を志して松竹蒲田撮影所のスター鈴木傳明に師事。1929年、法政大学を中退して松竹蒲田撮影所に入社、鈴木傳明主演『山の凱歌』で端役デビューした。1930年、小津安二郎監督『落第はしたけれど』に斎藤達雄を助演したのち、『淑女と髯』では岡田時彦の友人役に抜擢された。華奢な体格と繊細なマスクで独自の雰囲気をもち、学生役を得意とした。

 1931年、鈴木傳明に従って不二映画社入りし、松竹を退社。1933年に新興キネマへ転じ、『結婚快走記』『鐘はなぜ鳴るか』などに主演。『青春街』では岡田時彦の代役に立ち、現代劇スター中野英治と対等の主役をやるという幸運をつかんだ。1935年には女優の山田五十鈴と結婚し、後に女優となる嵯峨三智子をもうけた。

 その後、夫婦ともども新興キネマ京都太秦撮影所入りしたが、山田五十鈴が大女優になっていくのに、月田は『仇討膝栗毛』『七度び狐』といった喜劇に主演した程度でパッとせず、1938年に東宝映画へ移籍した。同年、山田五十鈴と離婚。1945年、長谷川一夫主演の『後に続くを信ず』に出演したのち、終戦直後に急死した。一説にはメチルアルコール中毒で死亡したと言われているが、ハムの食中毒という説もある。

 1945年9月27日死去(享年35)