ミハエラ・ウルスレアサ

ミハエラ・ウルスレアサ(Mihaela Ursuleasa 1978年9月27日生)
 [ルーマニア・ピアニスト]



 ブラショフで、ジャズ・ピアニストの父と歌手の母の下で生まれる。9歳でピアニストとしてデビューを果たし、12歳の時にクラウディオ・アバドのアドバイスに従ってウィーン国立音楽院のハインツ・メジモレクに師事するようになった。16歳でクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝を飾ってから国際的な活動を展開し、パーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンやサー・ネヴィル・マリナーの指揮するアカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ等と共演している。室内楽奏者としても、ソル・ガベッタやパトリシア・コパチンスカヤ等と共演している。

 2012年8月2日、オーストリア・ウィーンの自宅アパートで亡くなっているのを発見された。検視により脳出血だったことが判明した。

 2012年8月2日死去(享年33)