河井智康

河井智康(かわいともやす 1936年生)
 [海洋学者]



 東京都出身。東京水産大学卒業後、水産庁に入庁。水産庁東北区水産研究所資源管理部長を務め、1997年に定年退官。魚類の生態や魚類資源の変動をテーマに研究し、「稚魚を食べるプランクトンの大量発生で、そのとき全盛の魚が減り、別の魚が台頭する」という独自の「魚種交替論」を打ち立てるなど、水産学の発展に大きく寄与した。魚に関する著書も多い。特に、イワシが空前の大豊漁であった1988年に上梓した「イワシと逢えなくなる日」で、その後のイワシの減少を予見したことは特筆に価する。21世紀の水産を考える会代表理事などの要職を歴任した。

 また、1954年にマーシャル諸島ビキニ環礁付近で第五福竜丸が被爆した事件に注目し、マーシャル諸島で実態調査を行うなど、反核主義者・平和主義者としても知られた。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。

 2006年5月30日、東京都杉並区の自宅で就寝中、長男(当時33歳)に妻ともども刺殺された。長男は両親を殺害後、ガソリンをかぶり火をつけ焼身自殺した。長男はアメリカの大学の修士課程を修了し、米国公認会計士資格も取得したが、就職先が決まらずに帰国。以後定職に就かず自宅に引きこもり状態だった。就職を巡る両親との確執が原因で無理心中を図ったとみられている。

 2006年5月30日死去(享年70)