佐久間勉(さくまつとむ 1879年9月13日生)
[海軍軍人]
佐久間艇長遺言
小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す 誠に申訳無し されど艇員一同 死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事を處せり 我れ等は国家の為め職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士は之を誤り以て将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり 希くは諸君益々勉励以て此の誤解なく将来潜水艇の発展研究に全カを尽くされん事をさすれば我れ等一も遺憾とするところなし
沈没の原因
瓦素林潜航の際過度深入せし為め「スルイス」バルブ」を締めんとせしも途中「チエン」切れ依て手にて之を締めたるも後れ後部に満水(せり)約廿五度の傾斜にて沈降せり
沈据後ノ状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたる為め電燈消え 電攬燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり 十四日午前十時頃沈没す 此の悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む
一、沈下と共に「メンタンク」を排水せり 燈消えゲーヂ見えざれども「メンタンク」は排水し終れるものと認む 電流は全く使用する能はず 電液は溢るも少々 海水は入らず「クロリン」ガス発生せず 残気は500磅位なり 唯々頼むところは手動ポンプあるのみ 「ツリム」は安全の為め予備浮量600磅(モーターのときは200磅位)とせり (右十一時四十五分司令塔の明りにて記す)
溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず 余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず 細心の余り畏縮せざらん事を戒めたり 世の人は此の失敗を以て或は嘲笑するものあらん されど我れは前言の誤りなきを確信す
一、司令塔の深度計は五十二を示し、排水に勉めども十二時迄は底止して動かず、此の辺深度は十尋位なれば正しきものならん
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す かかるとき困る故 幸いに本艇員は皆よく其職を尽くせり 満足に思ふ 我れは常に家を出ずれば死を期す されば遺言状は既に「カラサキ」引出のなかにあり(之れ但私事に関する事言ふ必要なし 田口浅見兄よ之れを愚父に致されよ)
公遺言
謹んで陛下に白す 我部下の遺族をして窮するもの無からしめ給わらん事を 我が念頭に懸かるもの之れあるのみ
左の諸君に宜敷 (順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中将 一、名和少将 一、山下少将 一、成田少将 一、(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり) 一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一) 一、松村大佐(竜) 一、松村少佐(菊)(小生の兄なり) 一、舟越大佐 一、成田鋼太郎先生 一、生田小金次先生
十二時三十分呼吸非常にくるしい
瓦素林をブローアウトせしし積りなれども ガソソリンにようた
一、中野大佐
十二時四十分なり
1910年4月15日死去(享年30)