由良道子

由良道子(ゆらみちこ 本名:細見よね 1901年10月14日生)
 [タカラジェンヌ]



 大阪府出身。1913年7月、宝塚唱歌隊(この年の12月に宝塚少女歌劇養成会に改称、現・宝塚音楽学校)に11歳で入隊。宝塚歌劇団1期生。同期生に大江文子、小倉みゆき、雲井浪子、高峰妙子や初代若菜君子らがいる。この芸名は小倉百人一首の第46番:曽禰好忠の「由良の門を 渡る舟人 舵を絶え 行方も知らぬ 戀の道哉(ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな)」より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。

 1914年4月~5月、宝塚少女歌劇(現・宝塚歌劇団)の初公演である『ドンブラコ』で雉を演じた。当時12歳であった。日舞の名手でもあり、男役を得意としていたが、在団中に病に倒れて、1918年8月17日に現役の劇団員のまま満16歳10ヶ月の若さで夭折した。宝塚歌劇団1期生そして宝塚歌劇団生徒として、最初の物故者である。また、記録に残っている宝塚歌劇団生徒の中では、最も短命だった人物でもある。

 1918年8月17日死去(享年16)