ジミー・マカロック

ジミー・マカロック(Jimmy McCulloch 1953年6月4日生)
 [イギリス・ミュージシャン]



 スコットランドのグラスゴー出身。11歳のとき「The Jaygers」というサイケデリック・バンドを結成し13歳の時バンド名を「One In A Million」に変えてデビューする。15歳で参加した「サンダークラップ・ニューマン」で、ザ・フーのピート・タウンゼントプロデュースによるシングル『Something In The Air』が1969年7月英国チャートで1位を獲得し、マカロックは「英国1位獲得曲で演奏した最年少のギタリスト」となった。サンダークラップ・ニューマンはその後1枚のアルバムを発表したが、シングルの英国1位に続くような成功は得られず、1970年に解散する。

 1972年、レスリー・ハーヴェイの感電死という悲しい事故がきっかけで、マカロックは同郷グラスゴー出身のブルース・ロック・バンド「ストーン・ザ・クロウズ」のアルバム『Ontinuous Perfomance』に参加することになった。そして1974年、マカロックはポール・マッカートニーのロックバンド「ウイングス」に加入し、リード・ギターを務めた。1975年、ウイングスの4枚目のアルバム『ヴィーナス・アンド・マース』は、全英・全米で1位を記録する大ヒットとなり、同年9月から開始された12ヶ国64回公演の大規模なコンサート・ツアーは大成功を収めた。

 1977年、マカロックは「スモール・フェイセス」にギタリストとして加入するためにウイングスを脱退。1978年、スモール・フェイセスの再結成ツァーに参加し、アルバム『78イン・ザ・シェイド』をリリース。その後「THE DUKES」に参加したが、これがマカロック自身生涯最後のバンドとなる。

 1979年9月27日、ロンドン西部にあるメイダヴェイルの自宅で死亡した。死因はヘロインの過剰摂取による心不全であった。

 1979年9月27日死去(享年26)