バディ・ホリー(Buddy Holly 本名:チャールズ・ハーディン・ホリー 1936年9月7日生)
[アメリカ・ミュージシャン]
3人のロックンローラーが一度に死に、ファンに衝撃を与えたこの日は、後に「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。妻マリアは当時バディの子供を妊娠していたが、程なくして流産した。
バディのしゃくりあげるような裏声を用いて独特のアクセントをかもすヒーカップ唱法や、軽快なビートが特徴である。彼の独特な歌唱法、バディ節は、その後日本において坂本九によって受け継がれたという(奇しくも彼もホリー同様、飛行機事故で命を落とすことになる)。バディ愛用のギターはフェンダー・ストラトキャスターで、アコースティックギターが全盛だった当時は新鮮であった。墓石には、愛用したストラトキャスターの形が刻まれている。1960年代にデビューしたミュージシャンには、彼の影響でストラトキャスターを手にしたと語る者も少なくない。彼のバンド、バディ・ホリー&ザ・クリケッツはギター2本とベース、ドラムスでバンドを編成し、後のバンドの基本的な形となった。当時はロックでもいわゆるビッグバンドスタイルが主流だったが、金がない彼らは、巡業では4人のバンドメンバーだけで演奏することが多く、結果的にそのスタイルが定着した。最悪、バディとドラムのジェリー・アリソンだけで回ったこともある。結果、ビートルズなどの後世のロックバンドに大きな影響を与えた。バディは活動後期にはヴォーカルのダブル・トラックやストリングスの導入など、レコーディング・テクニックの可能性を追求し始めており、存命し続けていればさらなる音楽的成長が期待できたとも言われている。1986年に、ロックの殿堂入りを果たした。
1959年2月3日死去(享年22)