ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy 1917年5月29日生)
[アメリカ・第35代大統領]
ケネディ暗殺事件に関しては、直後に最高裁長官アール・ウオーレンを委員長とした調査委員会が設置されて、翌1964年9月に大統領暗殺に関する公式な報告がまとめられ、犯人とされた元海兵隊員のリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行という結論であった。しかし、暗殺の理由と暗殺者は多くの説があり、いまだに結論が得られていない。
衣料販売店を経営するエイブラハム・ザプルーダーによって撮られた暗殺の瞬間の8ミリ映像(「ザプルーダー・フィルム」)では、大統領の頭部は致命的と見られる射撃によってひどく破壊され、後方に動いている。その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、この映像はオズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。直後に大統領夫人が動揺した様子で後方に目を移し、オープンカーの後方部分に這い出て、護衛にすぐ引き戻されている映像が独立した複数の映像から確認できる。大統領夫人自身はその行動を認め、後方に吹き飛んだ大統領の頭部破片を拾うために這い出たことを後に裁判で証言している。実際、彼女は大統領の頭部の骨片を医師に渡している。また、大統領が撃たれた場所の前方の丘の上(グラシー・ノール)での不審な事象について複数の一般人の証言がある。これらは、射撃はすべて「後方から」リー・ハーヴェイ・オズワルド一人によって行われたとする暗殺真相究明委員会による政府側報告書と矛盾しており、陰謀の存在が指摘される理由となっている。
結局暗殺犯とされたオズワルドは、警察の尋問に対し一貫して「はめられた」と主張するのみで、事件の2日後の11月24日の午前中にダラス市警察本部から郡拘置所に移送途上に市警本部の地下通路で、市内のナイトクラブ経営者でマフィアと(そして、ダラス市警察の幹部の多くとも)関係が深いジャック・ルビーに射殺された。この射殺事件にもケネディの暗殺事件の真相の隠蔽行為(口封じ)であるとする意見がある。ルビーは1964年3月に殺人罪で有罪判決が下されるが、事件について多くを語らないまま4年後に肺塞栓症によりダラスのパークランド病院で死亡した。
結局多くの謎を残したまま捜査が終了し、陰謀説も多い事件として半世紀が過ぎた現在でも論議を呼ぶ事件となっている。
1963年11月22日死去(享年46)