浅沼稲次郎(あさぬまいねじろう 1898年12月27日生)
[政治家]
浅沼は、刺された後によろめきながら数歩歩いたのち倒れ、駆けつけた側近に抱きかかえられてただちに病院に直行した。秘書官が浅沼の体を見回し、出血がなかったことから安心したが、一撃目の左側胸部に受けた深さ30センチメートル以上の刺し傷によって大動脈が切断され、巨漢の脂肪で外出血はせず内出血による出血多量によりほぼ即死状態(側近によれば、運ばれる途中踊り場で絶命したという)で、近くの日比谷病院に収容された午後3時40分にはすでに死亡していた。
山口二矢はその場で現行犯逮捕、取調べに対し山口は若年ながら理路整然と受け答えしていたという。11月2日夜、東京少年鑑別所の単独室で、白い歯磨き粉を溶いた液で書いた「七生報国 天皇陛下万才」の文字を監房の壁に残した後、シーツを裂いて縄状にして天井の裸電球を包む金網にかけ、首吊り自殺した。なお、辞世の句「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」も残している。
この立会演説会にはNHKが共催として参画しており、NHKのラジオ第1で中継されていた。そのため、事件の一部始終はラジオを通じてそのまま同時に日本全国へ放送された。事件はまた、放送そのものにも影響をもたらした。事件以前から指摘されており方針が決まっていたテレビ番組からの暴力場面の追放の動きについても、この事件がきっかけとなって大きく加速していった。この事件の犯人は少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まった。それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用していた肥後守をはじめとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなった。
1960年10月12日死去(享年61)