江藤幸子(えとうさちこ 1947年8月21日生)
[祈祷師]
福島県生まれ。地元の須賀川市の小中学校と県立高校を卒業後、20歳で高校の同級生と結婚したが、塗装業をしていた夫が1990年に仕事中の事故で腰を痛めて以降、ギャンブルにのめり込み、家に借金取りが押しかけるようになった。それをきっかけに江藤は化粧品や食器のセールス、ラーメン屋のアルバイトをして生活を支えていたが、同年には夫とともに新興宗教団体「天子の郷」に入った。「天子の郷」は「病気・執着心・嫉妬などは、肉体内の邪霊や毒素によって起きるものである。それらを天主に宿る神力で取り除くことにより、幸福が得られる」とする教えを説き、抹殺・里造り・神査などの儀式を行っていた宗教団体で、執着心や嫉妬を動物霊に喩えていた。
入信直後、夫の腰痛が治ったことをきっかけに夫婦で信仰を深め、1992年には三女とともに、岐阜県の教団本部で専従として活動を始めたものの、次女の眼病が治らないことや、それに対する教団の対応に不満を募らせ、同年11月に夫婦で脱会した。やがて夫が「天子の郷」で知り合った神戸の女性信者と浮気関係になり、家を出たことから、江藤は酒に溺れ、生活も行き詰まったことから自殺を仄めかすほどに陥ったが、そのような状況下で夫を連れ戻すべく、神戸に出向いたところで「神慈秀明会」という新興宗教を知り、1994年6月に入信した。しかし、高額な掛け軸の購入を強引に進められたため、約1ヶ月で脱会し、須賀川に戻ると7月ごろから個人の霊能祈祷師として活動を開始した。江藤は「天子の郷」で学んだノウハウを用いて知人からの相談に乗り、「肩凝り・腰痛が治った」という評判を得て、信者を集めていった。
1994年の暮れから1995年6月まで、自宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、自分の娘と信者の男で愛人のN、同じく信者の男Sが中心となって『悪魔払い』や『御用』と称して太鼓のばちで殴る、蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。同年7月5日、重傷を負った女性信者Aの入院をきっかけに、須賀川警察署(福島県警察)の捜査本部が江藤宅を家宅捜索したところ、信者6人の腐乱死体が発見された。後に被害者であるAも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。Aは1997年3月、仙台高等裁判所で懲役3年・執行猶予5年の判決を受け、上告せず確定している。
この事件による死亡者は、逮捕されたSの妻、男性信者甲とその妻乙、甲・乙夫婦の娘である丙、男性信者丁、女性信者戊の6人。
加害者らは5人への殺人罪・1人への傷害致死罪などで立件され、主犯格の江藤は4件の殺人罪・2件の傷害致死罪で2008年に最高裁で死刑判決が確定。裁判長は「執拗な暴行を加え続けた犯行は、なぶり殺しともいえる陰惨なもの。宗教的集団による事件として社会に与えた影響も大きい」と指摘。さらに、「自らを神などとする宗教集団をつくり、その絶対的な力を背景に、自ら、あるいは信者に命令して暴行を加えており、刑事責任は共犯者に比べて際立って重い」などとして、「死刑は追認せざるを得ない」と結論付けた。戦後日本では10人目の女性死刑囚になった。
江藤は死刑確定直後、弁護人に再審請求の手続きを依頼し、責任能力か殺意の有無を争点として、2012年末までに請求手続きを行う予定だった。しかし同年9月27日、滝実法務大臣の死刑執行命令により、宮城刑務所で刑を執行された。女性死刑囚の執行は、夕張保険金殺人事件の日高信子死刑囚(1997年に死刑執行)以来15年ぶりで、戦後ないし、1950年以降では4人目である。
2012年9月27日死去(享年65)