風船おじさん(ふうせんおじさん 本名:鈴木嘉和 1940年生)
[ピアノ調律師]
ファンタジー号は直径6mのビニール風船を6個、直径3mの風船を20個装備。ゴンドラ部分は海上に着水した時の事を考慮し、浮力の高い檜を使用。ゴンドラ外形寸法は約2m四方で深さ約1m。桶造りでは東京江戸川区の名人と言われているものの、飛行船のゴンドラは専門でない桶職人に製作を依頼。風船のガスが徐々に抜けて浮力が落ちるため、飛行時に徐々に捨て機体の浮上を安定させる重り(バラスト)を用意していた。重りの中身は、厳寒でも凍らない焼酎を使用していた。ただし焼酎は浮力不足のため、琵琶湖畔からの出発の際に200本全てが下ろされた。積載物は、酸素ボンベとマスク、1週間分の食料、緯度経度測定器、高度計、速度計、海難救助信号機、パラシュート、レーダー反射板、携帯電話、地図、成層圏の零下60度以下の気温に耐える為の防寒服、ヘルメットに紫外線防止サングラス等であった。出発時の防寒具は、スキーウェアと毛布で、無線免許は持っていなかったため、無線機は積まれていなかった。搭載していた高度計についても、鈴木は使い方を理解していなかったという。食糧については、鈴木は絶食の訓練をしていたと称しており、スナック菓子のみだった。さらにテレビカメラと無線緊急発信装置も搭載されていた。
ファンタジー号の出発直後から、民放テレビ局のワイドショー番組では、トップニュース扱いで毎日のように報道。「風船おじさん」のニックネームが定着するきっかけを作った。しかし、マスメディアの関心が他に移ったことと、ファンタジー号自体の話題が尽きたこともあり、ファンタジー号に関する報道は沈静化した。週刊誌では、同年12月17日号の『週刊文春』が、密着して出発時の映像も撮影していたフジテレビの姿勢を「鈴木を煽ったのではないか」と取り上げ、同時に計画を無謀だと指摘。フジテレビは『週刊文春』の取材に対しタイアップしておらず、また鈴木は無線免許を取得して4月以降に出発すると語っていたため、11月23日に飛んでしまうとは思わなかったと回答している。
その後、残された妻は会社の共同経営者であり、家が抵当に入っていることもあり、借金は残された妻が払い続けている(2006年時点)。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっているという。ただその時点で失踪宣告の手続きをしようかと思うようになったとも語っている。「風船おじさん」については、その後も話題になることがある。例えば、タレント・映画監督のビートたけしは、野球選手のイチローが国民栄誉賞を辞退した際に、冒険家だった風船おじさんに国民栄誉賞をあげればいいと語ったことがある。1995年にはレピッシュがアルバム「ポルノポルノ」に「風船おじさん」という曲を収録。ドン・キホーテ的生き方を敬意とともに肯定する内容となっている。1997年4月には、劇作家の山崎哲の作・演出で鈴木をモデルにした舞台『風船おじさん』が新宿のシアタートップスで上演された。蟹江敬三の一人芝居である。ちなみに、遺体がアラスカで発見されたというニュースがネット上に存在しているが、事実無根のデマである。