毛利公子

毛利公子(もうりきみこ 1960年9月29日生)
 [歌手]



 神奈川県出身。長沢久美子と横浜市立寺尾中学校在校中に出会い、毛利の通う神奈川県立鶴見高等学校で音楽バンド「かりんとう」の活動を開始。第14回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場する。その後、笠松美樹が合流してコーラスグループ「シュガー」を結成。1981年 に『ウエディング・ベル』でデビューし、これが爆発的ヒット。翌1982年には 第33回NHK紅白歌合戦に華々しく出場が決まるなど幸運続きではあったが、その後はヒット曲に恵まれなかった。13枚のシングルをリリースしたが、1987年に解散。


 解散後はタレントとしてラジオのリポーターなどを中心に活動。1988年6月に一般人と結婚し、その後も仕事を続けていた。1989年に第一子を妊娠、翌年4月に出産予定であった。4月6日に陣痛を覚え病院に向かったが、既に胎児の心音が確認出来なくなっており、医師より死産を告げられ強い悲しみに取り乱したという。精神的な落ち込みや母体への負担を考え、胎児の処置はすぐに行わず一旦安静の措置をとることになった。4月7日午前2時ごろ、呼吸をしていないことに付き添っていた妹が気づき、すぐに別の救急救命病院に搬送されたが死去した。


 常位胎盤早期剥離による羊水塞栓症や妊娠高血圧症候群などが死因ではないかとの憶測が当時から流れているが、詳細な死因は現在も不明(非公表ではない。医師でも解説不可能な突然死)である。まだ見ぬ赤ちゃんに、彼女は「さやか」という名前をつけていたという。


 1990年4月7日死去(享年29)