伏見扇太郎(ふしみせんたろう 本名:船越貞雄 1936年2月19日生)
[俳優]
1954年、中村又一の名で松竹の『びっくり五十三次』に端役で出ていたところを東映にスカウトされ、翌1955年に伏見扇太郎として、東映より『月笛日笛』でデビュー。その後『まぼろし小僧の冒険』で主演をやって以降、数々の時代劇映画に主役及び助演として出演。主に2本立ての映画の2本目として編成された“東映娯楽版”での主役だったが、華奢な体つきと、女形も出来るような容姿で大変な人気を集めた。
中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、里見浩太郎らと共に子供達に人気の若手スターとして将来を大いに嘱望されていた。しかし、1960年代に入って以降は伸び悩み、後輩である里見の主演作品の助演や、一般作品の端役にまでそのランクを下げ、1965年にはスクリーンから姿を消した。その背景には黒澤明監督作品のリアリズムな時代劇が主流になり、東映もそれに同調し、伏見の華奢な体で剣戟の迫力があるのが不自然であるという事で受けなくなったという一面もある。
1968年に結核となり、俳優を完全廃業。その後は東映が経営するボウリング場で働いたとする話や、地方回りの大衆劇団に出た、バーを経営していた、またラーメン屋の屋台を動かしていたなど、没落の話題しか聞こえてこなくなった。1983年11月26日に高知県で刃傷沙汰を起こし逮捕されたりもした。
その後、20数年ぶりに映画に出演し少し話題に上ったが、映画はヒットせず、1985年元旦に屋台で働いていた妻を常連客の男に殺害され、晩年は気の毒な境遇だったという。その出演作品「玄海つれづれ節」では役名も伏見扇太郎そのままとして登場し、スターだった頃の映画を再び上映したいと願う若松の映画館主として登場していたのもなにか惨め過ぎる感があった。
南正時著作の『オジサンの玉手箱』によると「風の便りによると、自ら命を絶った……」いう記述があることからすでに故人であるが、死去年は不明。1991年に死去したという説や病死説もあるが、詳細は不明である。
19??年?月?日死去(享年??)