白木秀雄(しらきひでお 本名:柏倉秀康 1933年1月1日生)
[ジャズドラマー]
東京の酒屋に生まれる。錦城中学校を経て東京芸術大学音楽学部打楽器科に入学(のちに中退)。芸大在学中に長尾正士とブルー・コーツに参加し、ジャズ・ドラマーとしてのキャリアを開始する。レイモンド・コンデ、与田輝雄、河辺浩市、小野満などのグループを経て、1957年4月に「白木秀雄クインテット」を結成し、人気を獲得、花形プレーヤーとなる。この頃、同年に制作された石原裕次郎主演の日活映画『嵐を呼ぶ男』に於いて、石原が演じるドラムのアテレコを担当。同映画の主題歌「嵐を呼ぶ男」のシングル盤のバック演奏も担当している。1959年には当時ジャズ歌手だった女優の水谷良重と結婚し(1963年離婚)、時代の寵児としてマスコミを賑わせた。
傘下に多くの一流奏者を集めて、コンサートやレコーディングに活躍。八城一夫、世良譲、杉本英彦、福原彰らをメンバーに抱え、後には村岡健や日野皓正などのニュースターを送り出した。また1965年10月、白木クインテットとしてベルリン・ジャズ・フェスティバルに琴奏者を率いて参加。そのライブアルバムはドイツでも発売された。しかし帰国後、白木のわがままに耐え切れなくなったメンバーが次々に脱退。新メンバーを迎えたものの仕事数が激減し、1968年5月に解散。同時期に所属事務所の渡辺プロダクションからも解雇され(メンバーチェンジ以降赤字続きだった)、ジャズ界から離れた。
1972年9月1日、赤坂のアパートの自室で腐乱死体となって発見された。行政解剖によると、死因は精神安定剤の過剰摂取と見られ、死後10日ほど経過していた。晩年はかなり荒れた生活を送っていたという。
1972年8月22日死去(享年39)