ダイアナ・フランセス・スペンサー(Lady Diana Frances Spencer 1961年7月1日生)
[イギリス・英国元皇太子妃]
ダイアナは事故直後は生存しており救急隊員に対応していたため、うわ言で「Leave me(私に構わないで・放っておいて)」、「オー・マイ・ゴッド(なんていうことなの)」と言い続けていたという。また、事故直後の現場にはなお9人ものパパラッチが居合わせていたが、救助活動にも手を貸さず彼女の写真を撮り続けていたという。
BBCでは「足に重傷を追ったが生命は無事」と報道していたものの、その後間もなく事故の際に受けた脳損傷などが原因で死去した。ダイアナの急死のニュースは世界中のマスメディアがただちに各国へ配信、世界中が驚愕することとなった。
その後の調べで、運転手が抗うつ薬を飲んでいた上、相当量のアルコールが検出され、ダイアナ妃とアルファイドが婚約する予定だったということが報道されると、謀殺説が一気に広まった。
パパラッチが追っていた最中の事故だが、誰も事故の瞬間を目撃していない。いや、目撃者はいないことになっている。フィルムはすべて没収された。事故当時、ダイアナ妃はアルファイドの子どもを妊娠しており、王室の異父兄弟にイスラム教徒が誕生することをおそれる何者かがイギリス情報局秘密情報部(MI6)を動かしたとする暗殺説が流布された。
だが、これらに対する証拠は一切無いとし「陰謀論に過ぎない」と見做している人々も多い。パパラッチの追跡を逃れようと、160キロ以上という非常に高速でパリ中心部の一般道路を走行した末、トンネル直前で合流路から進入してきたパパラッチが所有する白いフィアット・ウーノをよけようとして接触し、トンネル内の道路側壁に激突したという事実は証明されているといわれている。この白塗りウーノの運転者は未だに当局に出頭していない。
1997年8月31日死去(享年36)